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社会的に失うもののない無敵の人の凶行を防ぐにはどうしたらいい?

51号線

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死ぬことを許さない
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のぼ

のぼ

起きた時の対処は「武力で徹底的に」
予防策としては「独りにしない」

各地で祭りがありますが、その中には恐ろしい魔物が出てくる祭りもいくらかあります。

その魔物は孤立し、人間達を怨み災いとなって降りかかります。
それは人が生み出した魔物のように見えます。

「このような魔物を生み出してはならない」
教訓のような内容の祭りと退治する内容の祭りがあります。

一度生み出てしまっては他を守るために討たねばならぬ。
それしか出来ないのが人間のようです。
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たれぱん

たれぱん

2つの要素があると思います。
①社会的に失うもののない。つまり、家庭や友人などがいない、または距離を置かれている。仕事にもやり甲斐を感じられない。
②凶行するというきっかけは何か?

まずは、環境良し悪しという運もあるが、幼少期から本人の思考に構成される「自責思考」か「他責思考」かによって、追い詰められた時の挙動に影響すると思います。生まれて直ぐの頃からが思考の構成に重要だと思ってます。なので、小さい子供の頃に手厚い保護と優しく育てられる環境を提供出来れば効果があるかな。ただ、「自責思考」が強くて鈍臭い人は鬱になりそうなので、おおらかな気持ちになるように教えてあげる必要もあるかも。

改めて2つの観点でみると、、、
①一人にしないというか、本人が無価値と思わされるような環境に置かれているということかな。
なので、社会に貢献できる仕事を斡旋できるといいかな。
②凶行のきっかけは、全てを失っただけで凶行するとは限らないので、その理由が必要かな。
恐らく「やりどころのない怒り」があって、自分で消化できず、怒りの矛先を本当の怒りの原因に向けるか、誰でもよくなってしまうかかな。
「自責思考」であれば踏みとどまれるかも。
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GALVON

GALVON

破産で何かの罪を犯した際の罰金は、
無かったことには出来ませんよ?
何も無いなら、0かもしれませんが、
仮に罪を犯すと、マイナス側に足を突っ込むことになります。
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ノゾ

ノゾ

善く生きることの快さを教育するに尽きる。

失うものがないという誤解を解くとも言える。
「自分自身が何者であるのか」という誰にも汚されることのない最も核心的な、失うべからざる財産が、どんな人にも残っている。

他に失うものがないからこそ、偉大な善行に向かうことだって、可能なはず。
というか本当は凶行より容易い。

そして教育はそうした個々人ではなく、我々の社会全体の偏りや歪みを正すところから始めなきゃいけない。
まずは、個人の自由が何より上だという偏りを、是正するところから。
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興味

興味

失うものがないことで無敵の人になってしまうことは、制度的にそれを予防するには、失うものを得られるようにするということがまず考えられます。

ですが、例えば社会制度が生活の安寧などなんらか与えるものであったとして、「失うものがある」という「認識」を持たなければ無敵の人になり得てしまいます。

そうなると、「認識」を育てる「教育」が重要と考えられます。教育はしばしば万能の解となり、この議論は、ポピュリズムなどの機能不全に陥る民主主義を修正・改善するために、教育水準の向上を解決策としたことと通ずるところがありますが、今度はそのような「理想的な教育」の実現が可能かというハードルが立ちはだかります。

完全なものはない、というとそれは当然であり議論が閉じてしまうので、少しだけ前向きな提案をしたいと思います。
それは、教育の主体は社会の構成員全員であって、誰もが「認識」を育てることに貢献できるということです。子供の教育にしても、学校教育が全てではなく、当然、家庭教育があります。教育を解とする際、それを必ずしも制度だけで論ずる必要はなく、自身がどう取り組むかを誰もが考えられるということです。
この哲学の星、質問と回答が流れていく中にも、認識を育める可能性が潜んでいたり、あるいは既に顕在化しているのではないかと思います。
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ましら

ましら

ちゃぶ台返しの答えになりますが、根本的には資本主義から降りることだと思います。

資本主義社会では、人間は資金力、能力、容姿、学歴、職歴、人脈など、何らかのリソースを持つほど社会に組み込まれやすくなります。逆に、それらを持てない人間は、社会から弾かれる。

人間は社会的動物なので、完全に役割や未来やつながりを失ったとき、最後に凶行という形で社会と接点を持とうとする人が出てくる。

福祉や相談窓口や居場所づくりは、もちろん緩和策にはなると思います。ただ、それは発生率を下げるものであって、構造そのものを消すものではない。

無敵の人は、資本主義と民主主義を運営する上で発生するコストの一部だと思います。ゼロにしたいなら、そのシステム自体から降りるしかない。
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見習い

見習い

色々な繋がりを保持し孤立を防ぐという話は他の方が出してくれているので、+の話をします。

私は無敵の人の問題を、犯罪の問題というより「自暴自棄」の問題として見ています。
そして自暴自棄は、根底にある恐怖によって視野が狭まり、「他に道がない」と思い込むことで生じる可能性があるのではないかなと。

つまり、「社会的に失うものがない」が理由ではない。

明日の生活が怖い。
孤独が怖い。
失敗が怖い。
死が怖い。
無価値になるのが怖い。
その果てに「もうどうでもいいや」が来るのではないかと思います。

ただ、本来はそこから先にも複数の分岐があるはずです。

自害する。
他害する。
耐える。
立て直す。
思想や宗教を頼る。
趣味や創作へ向かう。
などです。

そして私は、自害と他害以外の選択肢を見失った状態こそが「自暴自棄」ではないかと考えています。

問題なのは、その分岐には精神疾患や障害、気質、環境など多くの要因が絡むため、単純な解決策は存在しない可能性が高いことです。

だから私が思う対策は、「無敵の人」を直接なくそうとすることではなく、人が絶望した時に他害や自害以外の選択肢を見つけられる環境を増やすことです。
孤立を防ぐこと、支援へ繋げること、医療へ繋げること、再挑戦できる機会を作ること、趣味や創作などの逃げ道を持てること。そういった様々な選択肢を社会の中に残し続けることが重要だと思います。

ただ、それを人間社会が完全に実現できるかというと難しいとも感じます。人間自身が認知や理解に限界を抱えている以上、この問題は簡単に解決できるものではないでしょう。

減らすための案としては、繋がりを作り孤立を防ぐことなど、他の方々が挙げている方法で一定の効果は期待できると思います。

ですが、その少し先は、直ぐに神の領域になる気がしますね。
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風の音

風の音

日本で例えるなら、「日本の住人全員が家族になる」ことです。
どこに行っても自分の家族。
政治家は家族のための政策を真剣に取り組み、無敵になる前に家族で助け合う

というわけで、1つ壁の向こう側に誰が住んでいるかもわからず、ゼロか1かのデジタル思考で無関心な人が増えた現在では「不可能」と思います
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サト

サト

僕は無理だと思う

無敵の人って
失うものがない人じゃなくて
失うものがないと感じるほど絶望した人
だと思うから

そうなれば何か与えても
「その人にとって失うわけにはいかないもの」
になるかどうかは「本人が決める」しかない
だから周りができることは
求められた手助けをするだけ

あるいは「隔離」しかないだろうけど
PSYCHO-PASSの世界観ぐらいしか
検知は不可能だろうし
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