無い。坐禅15年近くして本来面目の公案もやったりしましたが、個々人の魂なるものは何処にも見出せなかった。それだからこそ救われるという事も分かった。さながら1本の毛糸で小さな輪を幾重にも作り、それを引っ張ってみれば細かい輪の数々が消えてしまうように魂などは元から無かった。人が勝手に色々と設定を作り、設けているだけ。広大無辺なる自己、大海に目覚めれば、イチイチ小波の消息に囚われなくてよい。
【魂】って凄く抽象的で理解しづらいワードだと思いますが、何かと使い勝手の良いワードでもある気がします。【〜魂】とか…それだけに、科学的に説明する必要のないものと考えます。科学的に説明しちゃうと使いづらいワードになっちゃう気もします。
『相手にはある』僕も物理や数学が好きだけど、数式の最終的な議論は「式が美しいかどうか」になると聞き、なんだか温かい気持ちになった。相手を見ていると、一貫性があると思える人物ってそうはいない。やっぱり好みで動いている。強いて言うなら「好みで動く」が一貫している。そこに魂を感じる。一人称の自分のことは判らない。誰かが見てくれて魂を感じてくれたら嬉しいな。