「AIと人間の区別」は可能だと思いますが、それが「人間の価値」を決めるとは思いません。歴史を振り返れば、人間は道具を作るたびに、自分にしかできなかったことを道具へ任せてきました。AIもその延長線上にあると言えると思います。もしAIが仕事を代替できるなら、人間の価値は「AIにはできないこと」に求めるのではなく、「人間は何を目指すのか」という目的の側にあるのではないでしょうか。能力は道具で補えます。しかし、何を知ろうとし、何を選び、何を大切にするのかという目的まで、AIに委ねてしまってよいのかは、人間自身が考え続けるべき問題ではないでしょうか。 つまり、この問いは「AIと人間の違い」を探す問いではなく、「人間は何を目的として生きるのか」を問い直す切っ掛けなのだと思います。例えば、人間の価値を「AIに奪われない能力」で定義しようとすると、AIが進歩するたびに人間の価値は失われていくことになる。しかし、人間の価値を「探究し続ける姿勢」に置くなら、それはAIと競合するものではなく、AIもまたその探究を助ける存在になり得る。 科学の塊であるAIは、科学で出来たこの世界の構造を解析する道具ではないかと、私は考えています。
「AIと人間の区別」は可能だと思いますが、それが「人間の価値」を決めるとは思いません。歴史を振り返れば、人間は道具を作るたびに、自分にしかできなかったことを道具へ任せてきました。AIもその延長線上にあると言えると思います。もしAIが仕事を代替できるなら、人間の価値は「AIにはできないこと」に求めるのではなく、「人間は何を目指すのか」という目的の側にあるのではないでしょうか。能力は道具で補えます。しかし、何を知ろうとし、何を選び、何を大切にするのかという目的まで、AIに委ねてしまってよいのかは、人間自身が考え続けるべき問題ではないでしょうか。 つまり、この問いは「AIと人間の違い」を探す問いではなく、「人間は何を目的として生きるのか」を問い直す切っ掛けなのだと思います。例えば、人間の価値を「AIに奪われない能力」で定義しようとすると、AIが進歩するたびに人間の価値は失われていくことになる。しかし、人間の価値を「探究し続ける姿勢」に置くなら、それはAIと競合するものではなく、AIもまたその探究を助ける存在になり得る。 科学の塊であるAIは、科学で出来たこの世界の構造を解析する道具ではないかと、私は考えています。