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人の主体とは何でしょうか?(本文あり)

欲や感情は操作できないため自分には自分のもののように感じられません。例えば眠りたくないのに寝てしまう、食べたくないのに食べてしまうなど。 ですが何かをしたくない、と思うのも欲求のはずです。自分の中に良い欲求と悪い欲求があるならその線引きは何が定めているのでしょうか。それこそが人の主体であるなら、人の主体とは何なのでしょうか?
jei

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諸法無我です。
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ゼロ

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人がそもそも人と呼ばれる理由は、人が理解と尊重というものを持っているからだと思う。だからこそ、他を理解すること、それが人の主体だと思う。
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興味

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前提を考えるととても難しい問です。直感的には人間の認識や感情が自我であり主体、となりそうですが、本文を見る限りこの問が立つ哲学的な地点は構造主義以降の主体が解体されたあとのようです。

そうなりますと、欲求は一度、状況に応答する機能に分解されますが、その上でなお欲求の良し悪しを判定するのは何なのか。ここに主体を求めたくもなりますが、欲求を制御することで長期的利益を目指す計算は人間以外の動物にも見られており、それによる良し悪しの判定でしかない、と考えてしまうと中々主体を発見できません。

しかし同時に、人間の良し悪しの判定は本当に全て機能に還元できるのでしょうか。人間の曖昧さが単に機能の限界なのか、それとももしかしたら、曖昧さの中に機能では答えの出ない部分に答えを出す意思が主体ということでしょうか。そしてその主体らしきものはしばしば、機能が出した合理的な答えも覆す、主体らしい振る舞いをしているのではないか、と思いました。
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見習い

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欲求とは制約の一つとは考えられないでしょうか。
そして、あらゆる制約は脳だけではなく、身体や環境からもたらされています。
更に考えるなら、そのような制約があるからこそ、主体となる自我が形作られているのかもしれません。

私は、制約は自我という「パン種」を形作る「パン型」のようなものではないか、と考えています。
型がなければパン種は形を持てないように、自我もまた制約があるからこそ、一つの「私」として輪郭を持てるのではないでしょうか。
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憂い顔の騎士

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認識し、判断し、選択する存在
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てす人

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