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観測した事実は誰にとっても同じなのか?

箱の中で友人がコインを見て「表だった」と確認したとします。普通はこれで事実が決まったと思います。しかし量子力学では、外にいる人は「友人もコインも、まだ表と裏の重ね合わせかもしれない」と計算できます。では、友人が見た時点で事実が確定したのか?それとも外の人が確認するまで確定していないのか?
tetra

tetra

違うと思う。観測条件が全く同じとは思えない。
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たくひら

たくひら

観測した事実と観測した事象がごちゃごちゃになっていると思います。ここでいう「観測した事実」には「解釈の余地」が含まれているかどうか問うべきです。
その上で人間は脳の構造上、一人称として観測する場合、「解釈の余地」を完全に排除することは出来ません。人間は言語を通じて観察するという手法をとっている以上、その言語に解釈が発生しないかどうかは明確な問いとして立ち上げることができるかと思います。
現象学の世界でも同じようなことを議論していたように記憶しています。果たして私の言う空は青いと、あなたの言う空は青い、或いは私の言うりんごが一つあると、あなたのいうりんごが一つあるが、同じ「観測した事実」の発言なのか「観測した事実に即した解釈」の発言なのかを考えてみてはいかがでしょうか。
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たむい

たむい

いわゆるウィグナーの友人ですね。
観測問題として観測者は誰なのか?
人?
類人猿?
哺乳類?
動物?
生物?
分子?
原子?
素粒子?

パラレルワールドという仮説もありますが、
私はワンネス派ですね。
全ての意識を持つ存在は、一つの上位存在のアバターでないかと考えています。
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サト

サト

まず持論として
五感が事実を捉えた写像が認識だと思ってる
だから人によって見え方が変わるのは認識で
事実は動きようのないものだと思う

なんだけど
人によって事実の「見え方」が変わることはある

例えば同じ猫でも横からか上からか近くで見るか引きで見るか
見方次第で「腹が白い猫だ」「背が黒い猫だ」「耳の尖った猫だ」「小さい子猫だ」

どれも事実、だとしても人によって
「異なって切り取られた事実」はあるんだと思う

それを知ることが
「多角的に見ること」なんだと思う
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ギゼン

ギゼン

はい。
観測した結果、視認という事実 測量的、位置的な事実はいかなる者が見ても同じであると思います。
ただし、Aの立場からみた事実a と、Bの立場から見た事実a とのすり合わせによる「AとBがそれぞれの立場から観測」した「事実a」は異なるケースがあります。
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