何故、夢は現実として扱われないのか?
私たちが睡眠中に見る夢は、確かに現実の中でそれぞれが経験していることであるはず。

ノゾ
因果を繋げようにもあまりに多くが欠落していて、それができないから。
夜寝ている間に得た体験が、現実と同じ程度に欠けることなく情報が保持され、かつ昨日の出来事と矛盾せず、かつ朝のあれこれの原因になっていたなら、現実として扱わざるを得ないけども。

伯爵
「夢で見た餅」は、いくら食べても腹は膨れませんし、絵に描いた餅と異なり、他者と共有することもできません。
また前後に連続性が乏しく、何だったら世の法則にも乗っ取っていません。
「夢で食べた餅」は現実に存在しますが、餅としては扱われません。
役目と価値が異なるのです。
だるま落とし
「夢で見た」という表現は多いが「夢で体験した」と表現する人は多くはない。
夢と現実の境界線が存在する。
だから夢は現実として、現実は夢として扱われないのではないだろうか。
ってか、他の人がそうしてなくても、自分だけそう扱っていてもイイと思うよ。
その時得られる『周囲の評価』が答えの“理由”かも知れないし。
境界線があるから『現実は現実、夢は夢』と区切られている。区切られているから同じ様には扱わない。
だからこそ夢と言えるところもあるのではないかと思う。

わっちゃん

パン

くま
共有できない私的な現実だと思います。

コーユー
夢も本人にとっては確かに経験した出来事です。もし一生目覚めなければ、その人にとっては夢が現実と言えるかもしれません。
一方で、現実世界の幻覚も本人しか認識できなければ現実としては扱われません。逆に、多くの人が同じものを認識できれば、それは現実として受け入れられる可能性があります。
物理法則や論理との整合性も大切ですが、それも長い歴史の中で共有されてきた認識の積み重ねです。
つまり、私たちが「現実」として扱うには、共通認識があることが重要なのだと思います。

Jotak
👻
例えば10年後とかそんな先の話じゃなくても今この瞬間手元にある金の価値や酒の楽しさ、恋愛の気持ちよさなど結局のところ作り上げられた「楽しい」とされる文化という人類が無理やりこじつけた「本質(笑)」の存在があるべきだという夢を見ているにすぎず、実際“夢”は現実だと扱っている気はないとしても“価値があるはず”とされる夢は誰でも見ていて、そもそも現実自体が「コレが現実であってほしい」という夢物語を現実と扱いたいという現実逃避を行っているに過ぎないのかもよ
コロ
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