ポピュリズム、大衆迎合は哲学なのか?

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これは私の哲学への願いかもしれませんが、私は"そうでない"と考えます。理由は、哲学は「人間の幸福実現」のため「個人-臨床的であるべきだ」ということからです。
[前提]
ポピュリズム/大衆迎合を、以下のように定義させてください。
・大衆からの人気を得ることを第一とする思想や活動を指す
→つまり、多くの人により迎合されることを目指すもの、として捉えます。
[理由]
まず第一に「哲学の目的は何であるのか?」ということです。私の考えですが、哲学の目的は「人間の幸福の実現」だと思います。といいますのも、現代において事実に関わる問題は自然科学が哲学よりも卓越的に解明しうるからです。一方で、事実は価値を与え得ません。「何が善いか」は事実に拠って確定せず、相対的だからです。この価値に関わる問題、究極的には「人間幸福の実現」に哲学の意義があると思いますし、ゆえにこれを哲学の目的として見るべきかと思ってます。
次に、その目的をどのように達成していくのか、についてです。私は哲学は個人-臨床的であることで、目的を達成できると思っております。といいますのも、先の段落で述べた通り、「価値は事実により決まらず相対的であるから」です。つまり、幸福のあり方は時代・場所・人・ライフステージによって異なるが故に、理論的には追求できないということです。個の人と向き合い対話するという臨床的な取り組みにおいてのみ、その個の人にとっての幸福を追求することができます。ゆえに、哲学は個人-臨床的であるべきです。
最後に「ポピュリズム/大衆迎合は哲学なのか?」という当の問いについてです。哲学は「人間の幸福実現」のため「個人-臨床的であるべきだ」という観点から、私は"そうでない"と考えます。もちろん、大多数の人間の幸福に妥当するような見解もあると思います。それは否定しません。しかし、そのような見解が意味を持ちうるとしても、それは「それが個人-臨床的であること」の積み上げであるという前提においてではないでしょうか。その意味においても、より根源的であるのは「個人-臨床的なあり方」としての哲学ではないでしょうか?
長文の一人語り、失礼しました🙇
kaede
哲学ではなく「政治のスタイル」では?
しすい
それらに対し、あなたご自身はどのように思われているのですか。まずはそこからです。ただし、それだけで哲学となるわけではありませんが。

第四検閲室

蘇我靈眩導師准尉
生存戦略は流れに乗るだけで大体は何とかなる。
自分で考えてない時点で哲学ではない。ただの主義でありカルトだ。良い流れなら迎合すれば良いが判断分別無しに迎合するは自己放棄だろう。

