時間とは何か?我々は時間の中に在る。しかし、過去、現在、未来はそもそもあるのか?

jwB
によって時間のあり方は変わります
決まっていないならそう思うなら努力して
過去に得たものを今努力して未来につなげる
決まっているそう思うなら努力してもな
決まっているしとなります
どっちがいいですか❓

ミサキ
昨日は朝早くから仕事だったので、疲れましたね。ちょっと風邪がぶり返した感じがしたので、ちょっと不安でしたね。
今日は朝早くに目が覚めましたね。だけど、風邪はだいぶ良くなってましたよ。
明日には治っていると良いなって思っています。
これで見ると、僕は風邪の症状について、過去から現在を通って未来を見ているのでしょうか?
NB
さんかく

ビビリ

an
勝手ながらの憶測ですが、tetra様はこの設問において、「私たちは常に/根源的に"現在-的な存在者"であるにも関わらず、なぜ/どのように未来や過去を語りうるのか?」を問題視されておられるのかと推測しました。ゆえにその観点から、私見を記述させていただきます。
先に結論を述べますと、以下の通りです。
「私に内在する"私ではないもの"」こそ過去や未来の正体であり、その"私ではないもの"が私に内在する故に、過去や未来について語りうる。
①「現在性の正体」は、"「私」であるもの"
「私の目の前にコップがある」。このような主張は、間違いなく現在形で書かれます。しかしなぜ現在形で書かれるのでしょうか。それは、「私の目の前にコップがある」を経験しているのが、他の誰でもない他ならぬ「私」だから、ではないでしょうか。つまり、この私が経験している内容は、どのような内容であっても現在形のものになります。ゆえに、「現在性の正体」は、"私であるもの"になり、その「私」は根源的に"現在-的な存在者"になります。
②「過去性や未来性の正体」は、"私でないもの"
反対に、「昨日までここにコップがあった」や「明日ここにコップがある」という主張はどうでしょうか。これら2つの命題について、それを経験しているのは「私」ではありません。というのも、明日コップをここにあることを経験するのは、「私」そのものではなく、「私の可能性」です。同じく、昨日までここにコップがあったことを経験していたのは、「私」そのものではなく、「かつて私であったもの」です。このように捉えると、「過去性や未来性の正体」は、"私でないもの"と考えることができます。
③ "私ではないもの"が私に内在する
しかし、この "私ではないもの"は、「私」とは無関係ではありません。というのも、「過去私であったもの」は「私」の部分的原因であり、同時に「私」は「未来私である可能性」の部分的原因であります。つまり、現在は過去を内在し、未来は現在から産まれ落ちる。私は私でないものを内包している。現在/過去/未来を超越した、無時間的な存在としての私。そのような限りにおいて、私は過去や未来について語る。そのように考えることはできませんでしょうか?
思いつきのままに書いたため、ガバいところ多いと思います。ご査収くださいませ🙇

チェンタイラン

薄明
紙に文字を書いた状態を考えると、
過去:紙に書いた文字
現在:その文字を見つめている自分
次の文字を書こうと考えた自分
この状態において未来って思いつきません。
そもそも【ない】からだと思います。

ken

月の熊
例えば今日という1日を何もしないで眠っているだけならば今は止まったままだしその人にとっては未来も訪れない、過去を振り返ってみる機会が無ければ過去など無い…。
ただ物理的に肉体が成長し老いて行くだけに過ぎない☝️
人生は選択の連続だしその選択に向き合う者だけに過去も今も未来も訪れるのだと俺は思って居ます…☝️
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