正論で否定することに意味はあるか(本文あり)
どんな考えにも、正論で否定できる隙はある。
この世に完全な正解が存在しないから。
ならば、正論で否定できたことにどれほどの価値があるのか。
それは本当に相手の考えを壊したのか。
ただ、最初から存在していた隙に指を突っ込んだだけではないのか。

レタス
正しいから正論なのであって、色々な乱数がちゃんと目に入っている状態では正論しか最善策になりえない

パン
見習い
これほど論理的で科学的な世界において、「正解は存在しない」と言い切れる根拠もまた見えないからです。
そのため私は、「この世界には絶対的な正解が存在するが、人間はそれを完全には理解できないだけではないか」と考えました。
もしそうであるなら、人間は正解そのものには到達できなくても、誤りを取り除くことで少しずつ真理に近づくことはできるのかもしれません。
ただし、正論で否定できたこと自体に大きな価値があるとは思いません。どのような考え方にも、別の視点から指摘できる隙は存在するからです。
重要なのは相手を否定することではなく、その考えが真理から遠ざかる要因を含んでいるかを検証することだと思います。
だとすれば、「正論かもしれないこと」を追求し、誤りの可能性を一つずつ減らしていくことには大きな意味があるように思えます。

8
正論もまた自分の意見と言うより世の中の客観を口にしただけだと思う

サト
正論に意味はある
でもそれだけでは足りない
正論は土台
出すべきなのはそれプラス場に合わせた調整
だと思う

てす人
正論を言われてる側は自分の思いを否定しないで欲しいと思うんでしょうけど、その理屈は正論を言ってる側にも通用するはずです。
あと、何を「思う」かは肉体由来の作用であり、同じ食べ物を食べても人によって感想が違うように個人差が大きいです。
なので誰の視点でも通用する理屈である「正論」が優先されるべきと思いますね。
さんゆう
そこに意味を見いだす必要はないんじゃないかな

