❶「変わっている」とは、普通からの偏差を意味するのか? 個人の主観的印象か? ❷「変わっている度合い」は、普通/変の2項か?スペクトラム的判断か? 座標系か?
🔹私達の対象判定プロセスはどうなっているのか。
🔹判定は印象的に行われるものなのか、洞察的に行われているのか、個人差が大きいように思われました。
🔹あるいは、自分は変わっているという認識を持つ人ほど、他者の変わっているにも寛容になるのか。
🔹教育先進国のオランダでは、「先生も、君達も、君達の親もみんな変人。普通の人なんて存在しない。」と教えると聞き、日本の教育モデルと対照的だと思い、本問を作成しました。
🔹あなたは普通の人か?変わっている人か?普通ってなんだろう?

パン

ぐるぐる
平均値から、最尤値から、中央値からの乖離の大きさ。その文脈において選択された座標軸でいわゆる「普通」からどれだけ距離があるか。
もっとも、こうしたことは定量化しきれるはずもなく、一般には主観的に評価されていることでしょう。
小さい頃から変わってると言われ続け、子どもの時は「普通になりたい」と思っていましたが、自分のバリュープロポジション(顧客・市場が求め、競合が少なく、自分が提供できる価値)の源泉、希少価値、独自性等と前向きに捉えられるようになりました

サト
客観的にこうだよねという概念を主観が認識したもの
だと思う
②平均モデルとのズレ率かな
普通の人はいないというのは同意であり不同意
普通に近似の人はいる
どの程度普通から離れれば変人となるかは主観的観測かな
という自論

