その欲望は、本当にあなたのものですか?
人は、 欲しいから欲しいのでしょうか。
それとも、
誰かが欲しがっているから 欲しいのでしょうか。
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行列のできる店。
予約の取れないレストラン。
恋人がいる人。
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もし誰にも欲しがられていなかったら、
それでも同じように 欲しいと思いますか?

H君
生きる為にはなんらかの欲は必要だよね

イサ
では、鏡に映った自分の顔は「本物の顔ではない」と言えるのか?

伯爵
これを論ずる前に「価値基準」について考察してみます。
人間が価値を感じる基準は大きく分けて2つ。「絶対価値」と「相対価値」。
絶対価値は、自分の価値観に基づくもの。他人はいらないと思えても、当人には価値が高いものです。
ピカピカに磨き上げた泥団子は、それを作った子供には価値がありますが、大人には価値を感じないものです。
「相対価値」は、他者により作られた価値観をもとに、そのものに価値があるかどうかを判断するものです。株やトレカをお金でしか見てない人は、まさにこれですよね。
行列のできる店、予約の取れないレストラン、その他ブランドなども相対価値にあたるものでしょう。
質問者さんの言う「本当に欲しいもの」は、絶対価値のことを言っているのだと思えます。
では、相対価値は「欲しいもの」とは違うのでしょうか?
人生は選択の連続です。
価値の大小に関わらず、多くのことを選択するとき、それについて深く欲する事の是非を問うていては、脳のリソースは確実に不足します。
ラーメンが食べたくなった。あまたある店舗から自分の食べたいラーメンを探すのは、実は結構労力がかかります。
そこまで深くこだわってる対象ではない。掘り下げて調べるほど熱心でもない。なら「自分より詳しい人が評価した(であろう)ラーメン」をチョイスしたら、自分のリソースは節約して、他人のリソースで選択することになります。
その場合、もう一つ満たされるものがあります。
それは「情報が得られる」という点。
話題のラーメン屋の話は、それが話題に上がるコミュニティにおいて、格好の『話の種』になります。
有名店に並ぶ人は、ラーメンを欲してるのではなく、情報を欲しているんだと思います。それは「本当に欲しいもの」かも知れませんね。
欲する心の構造は、こんな感じじゃないかしら?
「本当に」を求める気持ちは分からなくもありません。
でもその「本当に」を求める心は、本当にあなたが見いだした価値ですか?他人から与えられたものではありませんか?
メタで意地悪な問いですが、本質はそういうことだと思うのです。
たれぱん
行列が出来る料理屋さんなら、食べてみたいと思います。それは周りが食べているから食べてみたいのではなく、「美味しいのかな?」という興味です。
人の物を欲しいとも思わないし、同じ物が欲しいとも思わない。でも、私は「知りたがり」ではあって、、、「大谷翔平はホームラン打ったかな?」とか「美味しそうな料理の写真を見て、食べて見たい」と思います。
誰にも知られていなくても、「美味しそう」なら、美味しいのか知りたい。
私の場合、「知りたがりという欲望」は私のものです。

むかで
その欲は、よく言われる三大欲求と承認欲求が、複雑な社会の中で細分化されて欲もまた複雑になっていると思います。
誰の欲か?ではなく、そこから得られるエネルギー量で考えます。
私達は、欲を貪る表現者です。
お金の様に欲を循環させて、そこから得たエネルギーで快活に生きれば良いと思います。
一人洞窟でジッと座る人生を選ぶ人は稀です。
やがてくる苦を今の思考で怖がっても意味がありません。それよりもエネルギー不足の方が怖いです。バブル崩壊後の自殺率が高かったのは、お金で人が死ぬという事です。欲も同様です、少な過ぎると危ないです。
ただし、沢山のお金も身を滅ぼしますので、ほどほどが良いと思いますw

ラズー
子供の頃はそうではありませんでした。

しんや
『お買い物した時がピーク』の所有欲とかね。
そうなると、時には引き算の発想が心地よい時期もありますなぁヽ(´ー`)ノ

アーティファクト
他人の為に何かしたいと思うのも、マジョリティに迎合したいのも、そう思っているのは紛れもない自分。
「思わされている」節もあるだろうけど、根本には自己防衛(=自分を守りたいという欲)とかそういう性質が隠れてると思う。

ヘルシオ

ふきふき
それ以外にないのでは?
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