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人それぞれに異なる事実が存在するか

たれぱん

たれぱん

「事実」は絶対的なものを指す場合と相対的なものを指す場合で異なるかも。
例えば、、、
・リンゴが1個ある→この事実は絶対的で同じ認識になる。
・美味しいリンゴが1個ある→1個のリンゴは事実でみんな同じ認識になるけど、「美味しい」は微妙だ。
相対的な感じになって食べた本人は「美味しい」かもしれないが、同じリンゴを食べた他の人が「美味しい」と思うかな?
食べてない人から見ると、「美味しい」は「美味しいらしい」になり、食べてない人にとって「事実」と言えるのだろうか?
なので、人それぞれに異なる「事実」は存在する。また人それぞれに異ならない「事実」も存在するかな。
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ハンプティダンプティ

ハンプティダンプティ

よく考えます
私は努力した分必ず報酬が受け取れる星に生まれました
けれども全ての人がそうではないようです
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ラズー

ラズー

事実というのは重い言葉ですね。

確かに人それぞれの事実はありますが、他人は全く気にしないのが現実。
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〆さば

〆さば

事実を何と定義するか次第。
石があることを事実だとして、それはなかなか否定し難いのでは。でもある人は石という言い方が雑だといい、ある人は有ると言うことは何かと問い、それらの味方と立場で事実は複数存在する。でもそれはどう見るかと言うハナシで石はあるんだよなぁ。これを真実と言うなら解釈は無数だが事実は一つと言えるのでは。
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サト

サト

事実は現象として固定のものだと思う

人それぞれに異なる要素があるとすれば
「知覚範囲」だと思う

ひとつの出来事に対して
前方不注意で人をはねたというのも
急に飛び出したかからひかれたというのも
視点違いの事実

微妙なのは「何処にピントを合わせるか」は
事実よりは認識寄りなのかなと思うかな
事実を誤読なく認識するのは難しい
という話だと思う
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ei

ei

事実が、実際に起きた事柄の結果のことをいうならば、存在しない。
例として、階段から人が落ちた。
1人目は、階段の下で落ちてきた人を見た。
2人目は、人に押されて階段から人が落ちるのを見た。
なぜ落ちたのか理由が含まれているか否かの違いはあるが、「階段から人が落ちた」という結果は相違なし。
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くま

くま

私は、おそらく「事実そのもの」は本来1つだと思います。
しかし、人間はその事実を完全にそのまま認識できません。

人はそれぞれ、

* 立場
* 経験
* 知識
* 感情
* 思想
* 利害関係

などを通して世界を見ているため、同じ出来事であっても認識や解釈は必ずズレます。

だから、「事実」というものを重視して考えるなら、事実は本来1つ。
しかし、「人間が認知した事実」という視点で考えるなら、事実は人の数だけ存在しているとも言えます。

つまり、

「現実」は1つだが、
「現実の見え方」は無数にある。

そして、事実という言葉を考える時には、
「事実そのもの」と「事実の認知」という二つの層が存在していることを理解すると、
“事実”という概念への理解はより深まるのではないかと思います。
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セナ

セナ

私の目に映る世界は
色弱であることを踏まえると
他人とは、異なる色彩の光景が見えている
はずなので
私は、少なくとも一つは
人それぞれに異なる事実が
存在すると思います。
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ナトル

ナトル

あるから 個性が出るのではないでしょうかなかったら人間同士のトラブルはないと思います
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セナ

セナ

誰にでも思い込みは多少あると思いますがその思い込みは主観的には事実であって客観的には誤解。それは存在する事実と言えるのか、、🤔
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