裏切りについて。私は裏切られた側がほぼ一方的に原因だと思っています。皆さんの裏切り感を是非。(補足参照)
・裏切った人は元から裏切りを目的としていない
・構造的裏切りではなく心の裏切りを扱う
・メッチャ雑にいうと「冷めた」ってのは冷めさせた側に9割くらい「原因」があるよなぁと。
・だから裏切られても責める気にならない。自分はアイツが裏切るくらいどうしようのなくなってたんだなぁと思う。


伯爵
自分が信じていた相手に、自分にとって都合が悪い行いをされた。
という、あくまで主観に基づくものです。
その点で「裏切られた自分が悪い」という点は、なるほど一理あるかも知れません。裏切られた側の主観で「そう解釈している」に過ぎないのですから。裏切られた「と捉えている」自分が悪い。ならばうなづけます。
「裏切る」という言葉を使う時、そこには受けた側にとって「納得し難い感情」があるのだと思います。同じ行為をされても納得できていれば、「袂を分つ」「別れた」などに類する表現になるように思えるのです。
「裏切られた」と表現するのは、自分の価値観では受け入れられない何かが残っているためだろうと考えます。
たとえ原因は裏切られた側にあったとしても、その結果なされた扱い(裏切り)が妥当であるかどうかは、別問題だと思えます。
むしろ妥当だと思えないからこそ「別れ」を「裏切り」などと表現するのかも知れません。

ねぎどん

ぼーず
裏切らない人は誰と一緒にいても裏切らない。
魏延、呂布と
関羽を想定するのが分かりやすい。
というのが私の意見。

ラズー
そうじゃないとそれだけ偏った結論に向かわない。
自分が可愛いって人に多いですね。

まなみ

あぽりあ
しかし「一方的に」原因があるとはいえない場合もあると思います。なぜなら「原因があること」と「責任の大半が裏切られた側にあること」は別問題だからです。
例えば、相手側の許容度が極端に低いケースがあります。 一般的な感覚では関係が破綻するほどではない言動でも、ある人にとっては決定的な拒絶理由になることがあります。そういう場合、確かに相手を不快にさせたという意味ではこちらにも一定の非はありますが、そのことから直ちに「裏切られた側にほぼ一方的な原因がある」とまでは言えません。
人間関係は相互作用ですから、関係悪化の原因も通常は双方に分散して存在するはずです。 したがって、「裏切られた」と感じることの是非は、自身の行為の問題性だけでなく、相手側の反応の相当性も含めて判断されるべきだと思います。 要するに、「多少こちらに原因はあったとしても、その反応は過剰ではないか」と社会通念上評価できる場合には、「裏切られた」と感じることにも一定の正当性はあるのではないでしょうか。
自分が一方的な原因主体だと思うべきかの是非は置いといて裏切られたと思ってもいいんだよっていう意見を書きました^_^
ソマチッド
原因はどちらにもあると思います期待しなければ裏切りはないし裏切らないければ期待もない

薄明

ヘルシオ

コパ🔍
裏切りに限った話ではない
関係とは双方の選択によって構成される
全ての選択に責任がある
責任を問うならば
そこに至る選択を積み重ねた全ての選択
それら全てに責任がある
どちらか一方
または選択に関与していない他者
その責任の問い方は誤りである
責任放棄
責任転換
人は己の過ちを認めたくないばかりに
それを外面へと押し付けようとする
己の内面の愚かさを保つために
自分さえ良ければ他者など構わない
その精神が透けて見える
構造を理解したものならば
なんとも経験した感覚
嫌悪感の正体はそこにある
それは至って正常な見識
このまま話し続けると
終わりが見えないのでここで締める
裏切りの責任はお互いにある
戒め
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