牛乳アレルギーが社会的に認識される前の社会において(比喩)、ある生徒が牛乳を飲むと辛くなる場合、給食で提供される牛乳を飲むことを規範として求めることの功罪
回答は良い部分と悪い部分双方の考察をお願いいたします。

〆さば
功:平均的健康度の底上げ
罪:功を得る為の少数の犠牲
この構造は広くも狭くも出来るけど、解決策は未だない。罪の部分を外部化する未来(これまでも大半はそう)が見えるけど、これは問題の先送りであって解決ではない。社会が自然発生的なオルタナティブであれば、現代ならこのタイミングで設計をやり直す事が出来るかも。

matsu
医学知識や社会的理解が不十分で、牛乳によって体調を崩す子どもがいても、それがアレルギーや体質によるものだと十分に理解されていなかった。
好き嫌い、偏食の問題と解釈されることも多かった。
だが、原因が正確に分からなかったとしても、実際飲む度に吐いたり、お腹が痛くなったりする子どもが苦しんでいる様子、そのものは目に見えていたはず。
そしてそこで止めることもできたはず。
当時は知られていなかったから仕方ないと完全に片付けてしまうと、実際にあった苦痛や被害を軽視することになる。
当時の教師の多くは悪意ではなく、子どもの健康のためという善意や当時の常識に基づいて行動していたとも考えられる。
だが、善意であっても、個人の体調や苦痛より集団的な規範を優先してしまった所には問題がある。
単に昔の人が悪かったと決める事でも、当時は仕方なかったと済む事でもなく、知識が不十分な中で、生徒の苦痛をどう扱うべきだったのかを考える必要があった。
功4割罪6割って所。

