思考実験:人間の利己と利他の本音について(心理的利己主義を哲学的・心理学的に再検討する)
【シチュエーション】
あなたが道を歩いていると、目の前で少年が派手に転んでしまいました。周りには誰もいません。あなたはすぐに駆け寄り、彼を助け起こします。その時、あなたが彼を助けた理由・動機について画像にある5つの選択肢の中から答えてください。



パン

風の音
現実にあることとして、目の前で交通事故を見たとき、俺が出勤途中で遅刻しそうなら素通りします。
それが好きな人や知人であるならば遅刻のことを忘れて様態を見に行き救護措置を取ります。
俺は通常、転んでる子供を見ても助けには行きません。なぜなら子供の頃転んだりケガをした経験が豊富だからです。
そんな俺が、例題のように「見知らぬ少年のところへかけよった」のは、時間的余裕があり、なおかつケガが酷くないか心配になるくらいの転び方をしたから、「酷いようなら救急車を呼ぼうか判断しよう」という、あくまでも自分の気持ちに順じた行動なので、1としました。

〆さば
昔飛び降りの直後の現場を通った事があったんです。焼肉屋の前の道路だったんで飲みすぎた人が寝てるくらいに思って通り過ぎたんですが、歩くうちに「立ち尽くす顔面蒼白なカップル」「あの水たまりは血溜まりではなかったか」「足が変な方向を向いていた気がする」「何か事故ならそれを素通りしたことになる」と思い始めて心配3割自分が事故を見過ごしたくない7割で引き返して救助に加わった事があります。今でもたまに夢に出ますが、自分的モヤモヤを多少でも緩和するために戻って正解だったと思いつつ、助けるとかより自分のモヤモヤ優先の人間なんだなぁと自己理解の足しにしてます。

薄明
動機1が7割、動機2が3割
助けたという自己満足のほうが大きいかな。そのまま無視したら後々気分が良くないしね。

古堅 暦
まぁ救いたいって言うより相手を自分に置き換えるとそういう行動になるかな…

仁
僕はどちらかと言えば利己的な人間だと思っている。だが少年が目の前ですっ転んだら、周りに人がいようがいまいが心配して駆け寄り、できる事をすると思うが、
実際に経験した違うシチュエーションならこの実験の対象になるかもしれないのでそれを書いてみる。家族で田舎道をドライブ中、道に財布らしきものが落ち着いた。僕はUターンして財布を拾いに戻った。嫁はUターンして拾いに戻るなんて何考えてるのと僕を嗜めた。その時の僕の心理は、ただ中を確かめたかった。もし高額な現金が入っていたらいいな との期待感があった。ネコババするか謝礼をもらうかは中をみて考えるつもりだった。
しかし中身は小銭が少しと、免許証、カード類であった。そして戻った事に後悔した。近くに交番はないし、そこら辺にほかっとくか思案していると、バイクがやってきて、それ俺のと僕の手からお礼も言わず奪って行った。
だからその時は利己100%です。
この
誰かを救いたいと思っているけど、そう思うことさえ自分が救いたいから救うという利己的な部分があるのかもしれない。
そしてそれでいいと思う。自分が正解だと思えば正解。
着物男子(🍉
なぜならこの二つは矛盾しないから
相手の幸せのために動くことによって自分の心の平安が得られる
であるし
自分の心の平安のために、相手の幸せのために動く
から
そもそも利己と利他という対立概念がおかしい
利己に対する対立概念は愛他である
自分が相手のためにしたいからするのであって、これは、純粋な他人の利益でも純粋な自分の利益でもなく、二つが不可分にくっついている
だから利他より愛他のほうがただしい

らる
1番の動機は善行を成して他者に認められて優越感に浸りたいから。そんで自己肯定感を上げたいから。
他を思いやる気持ちがあるといえばある。
が、それは自身が同じ目にあった時に他にも同じようにあって欲しいと思うからしている。
自分が行うことで少しでも他人にその行動を起こす動機が芽生えれば尚良し。

aki
やれやれと言う感じで声を掛けます
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