歪に積み上がったジェンガがあり、長年の慣れによってこの歪を認識できなくなっている場合、人間はどのように自己の歪、会社の歪、社会の歪を把握すれば良いか?
歪があったとしても、慣れという感覚はそれを「正」と認識を齎す。
ジェンガとは異なり、対象が視覚的に認識できないものである場合は、認識の更新や再構築が難しくなる。
補足:
作問趣旨は、理想状態との乖離という意味ではなく、知覚方法や分析を主題としています。


〆さば
ジェンガで言えば、最下層まで降りて行って「最初はどうだったのか、今と何が同じで何が異なるのか」と考えることが大事ではないでしょうか。

憂い顔の騎士
行動をとってみること

コーユー
極端な話、もし全人類が同時に同じズレ方をしたら、それに気づくことすらできません。つまり、絶対的な基準で歪みを判断することはできないということです。
ではどうするかというと、比較もって捉えることだと思います。ただし単一の正しさとの比較ではなく、異なる視点や環境、価値観とのズレを見ることが大切です。人は慣れると一つの基準に固定されてしまいます。
だから、外の視点に触れたり、自分の中の矛盾に気づいたりすることで、はじめて歪みが見えてきます。
歪みは“正しさ”ではなく、“不整合”として現れる。そんなふうに捉えると、少し見え方が変わる気がします。

黒猫
それに沿う、沿わせる

セナ

ayyyyyyy

たよ
存在そのものが意味を持ってしまう

れのさん

takeshi
それらを一致させる方法はあるのか、そもそも一致させなければならないのか。
全て観測するする事から始まるし、観測し続けなければ結論にも結果にも至らない。
歪みの形が一致したとて、それらは同じ形なだけで、決して同じものにはなり得ない。
歪みを正す力そのものよりも、むしろバウンダリーを維持し続けられることの方がはるかに大事だと最近思う。
シゥエワン
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