未知と無知の違いは何か?無知は恥ずべきか?(回答制限あり)
哲学コミュニティですので、感覚的回答はご遠慮ください。
なぜそう考えたのか、理由、構造等も併記していただけるとありがたいです。

Juba

コーユー
まず「未知」とは、まだ解明されていない領域や対象のことです。社会課題の答えや未踏の実験のように、「何かがある(はず)」とは分かっていても、その中身までは分からない状態を指します。
一方で「無知」とは、知り得るはずのことについて、まだ知らないという“自分の状態”です。
こちらは他者や社会との比較で語られることもあれば、「本来知れるのに知らない」という意味でも成立します。
この2つは似ているようで、未知は「領域の性質」、無知は「主体の状態」と考えると整理しやすいです。
では無知は恥ずべきか。結論としては、私は「恥じるべきではない」と考えます。
確かに、恥が学習を促すことはあります。ただそれは本質的な理解というより、社会的圧力による矯正に近い側面もあります。
無知にはいくつかのパターンがあります。
・誰かから無知と思われる場合
・客観的に知識が不足している場合
・自分で無知だと気づく場合(いわゆる無知の知)
いずれにしても、やるべきことはシンプルで、必要なら学べばいいし、不要なら気にしなくていい、というだけだと思います。
無知そのものよりも、「学べるのに学ばない態度」のほうが問題になり得るのではないでしょうか。
個人的には、自分の知らなさに気づきつつ、それを前向きに楽しめる状態でいたいと思っています。

ヤス

サト
内側か外側かの違いだと思う
その対象のことを知らないということについて
未知はその対象側に貼るラベル
無知は自分側の状態に貼るラベル
だと認識してる
恥ずべきかと言うと場合による
悪いことしてはいけないというのは恥ずべき
だけど是正できたらもう恥じなくていいと思う

フユ
知らないことは無いとか思ってないんですし

takeshi
恥じるべきかは、対象と態度の組み合わせ次第。

リキ
無知は自身がおかれた状況による。

Masaya
無知は外側だけで中身がない空虚なイメージ。
ゼロとサイファーみたいな?

ラズー
無知な人はそれどころではない心境。
何も恥ずべくことが無いとなると、面白い人生はおくれない。

たよ
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