自分の子供が、歌手になることが夢と表出したとき、これを純粋に応援できる親と、応援できない親の差異は何か? また、このときの応援とはどのようなものか?

よんちゃん
応援するならば、可能な限りできる限り提供します。肯定、受容、環境、情報、お金など。
応援できない親との差異は何でしょう?
①のような経験の有無でしょうか。

臼井優

〆さば
子供の主体を認めていれば、少なくとも強固に止める事は出来ないはず。よその人が何をしようと関係ないから。でも親子だもんなぁ、ポジティブにせよネガティブにせよアドバイスはしたくなっちゃうよね。それが一人の人格を観ているのか、自分の延長として見ているのか切り分けるのは容易ではないよなぁ。個人的には覚悟を背負えるなら応援するしかない、でもその覚悟を測る術はめちゃくちゃ難しい、慎重になる。

celestar
応援出来る親もそうでは無い親もどちらも愛がある
しかし子供目線応援出来ない親は愛が無い様に見えがち
愛があるのに応援出来ない
これはパターナリズムだと思う
①相手の選択や自由への介入がある
②理由が「相手自身の利益・福祉のため」
③相手の同意を(少なくとも事前には)得ていない
これらの場合はパターナリズムと言っていい
注意が必要なのは子供は理由の説明が上手く理解出来ない、または親の説明が良くないと子供は自分は愛されていないと感じてしまう
パターナリズムは優しいけど鬱陶しい
「親切」とも言えるがお節介とも言える
相手(子供)が自分(親)より能力的、経験的に劣っていると認識しているシグナルでもある
家族の様な関係なら②が強くなる
けど心配される方は②が強くない
自分が失敗する事は親とは無関係だが親は子供の失敗、挫折を自分の事の様に嫌う
①の様に介入してきては大成したかもしれない可能性を潰されたように感じる
②の様にチャレンジしようとする度に心配されて
失敗すれば自分よりも悲しむ親
このループでクリエイティブな人間が生まれる可能性は0に近い
本来であれば心配された方が実力や実績を示すべきだが子供だから難しい(子供の年齢知らないけど)
経験も浅いから親の方が現実を認識する能力は高い
愛があって応援出来る人は
子供の実力、実績とかを認めていて
子供の主体性を認めている親だと思う
でもこれは絶対に良い判断とは言えない
親切と同様こちらも優しい「寛容」と言える
寛容は言い換えれば「無関心」とも言える
応援出来ない人は親切だしお節介
応援出来る人は寛容だし無関心
俺は応援したいなら親は子供の実力など諸々心配している素振りを微塵も見せない方が良いと思う
特に歌手なら
応援しないなら理由をしっかり誤解なく伝えるべき
あとあなたのためを思ってなんて絶対言わない方が良い
なぜなら親の言う子供のためを思うって大半が嘘だから、そして親もそれを自覚していない
子供と人生を重ねて見すぎている
Moonfish
本当の望みなら少々の抵抗があったとてそれに負けたりはしないとも思うし。
またコロコロ気が変わって一つのことに打ち込めない性質の子ならば、様子を見て判断するだろう。
機会は与えてやりたいが、それを活かせるかは本人次第だ。

タヌキ
私はとても大事な職業だと思っていますが、我が子が性産業に就きたいと言う夢を持っているとしたら応援できない職業だと思われます。夢であることは歌手と変わりませんが、応援できる親は少ないと思われます。そのため、許容範囲の差が応援出来る親の差になると考えました。
応援の差については子どもの個性によって変わるため一概に言えないと考えます。発破をかけた方がいい子、モノを与え続けた方がいい子、褒め続けた方がいい子と様々いると思います。逆に応援しない方が夢を叶えると言う例もあると思いますので、応援は子の邪魔にならないようにすれば良いのではと考えます。

kaede
なんの兆しも無い根拠も無い状態なら
傍観しますね。何かちょっとでも才能を感じるなら、やりたい事はやったらいいと思うけど、応援とはあくまでも本人主体で行う間に手助けできる事はコチラも考えると言う事。こっちが主導、主体では意味が無い。

志信shinobu
でも、私の生活・人生ではない…という認識。
手助けはしない・出来ない。
だけど…
戻れる場所(拠り所)になる決意をします。

Métis
さんかく
財力的な物や人生の先輩としての知識で
判断する必要はある
ただ最後は本人次第
もっとみる 




