目的がそもそも違うんです。ひとつの結論が欲しいのではなく、人が持つ様々な物の考え方を知りたいということもある。少数派、多数派を把握して安心したいということもありますし、その人の生き方の経験則として「ゼロから調べる時よりも人に聞く方が早い」というような場合もある。質問者さんはきっと情報検索力が高い方なのでしょう。調べ物が苦じゃないし、煩雑な情報を精査して、必要な情報だけを抜き取ることが自然にできてしまう人。それ故に、人毎に情報検索能力にバラツキがあるということを見落としがちになる。「もっとこうすればいいのに」 は、その人が自分の強みを自覚していないが故の傲慢さの現れなんですよ。
他人の経験から来る「視点」を求めているのではないでしょうか?質問者のあげている例を引用します「宗教・説教とは何ぞや」はググると定義は出てくると思います。しかし、宗教の構成を分解すると教主・信者・第三者に大きく分けられます。それぞれの宗教観は全く違います。さらに、「信者」にフォーカスを当てると、教団の幹部や、話半分で信じている信者、全く信仰していない2世信者など「信者」にも幅があります。そして、それぞれの宗教観は全く違います。これが「視点」だと考えております。教団に精神を救ってもらった教団幹部と、教団に一切興味がない2世信者に、同じ説教をしても、返ってくる感想は、対極に位置するものでしょう。このことは、「説教とは」とググって出るものではないのです。