相手の問題に見えるときほど、それは本当に相手の問題なのか。それとも、自分の中でまだ終わっていないものなのか?
H君

SUZUME
単なるストレスの源ではなく
『自らの成長や
長期的利益の為の材料』
と捉え、
『行動主義的なアプローチ』
を取ると
視点は
『正解や正しさの追求』から
『目的の達成』へと切り替わります。
そうすると反応ではなく
『戦略』を選びます、
感情的に反応して
『この状況をどう利用すれば、
自分のスキル向上や
プロジェクトの成功に繋がるか?』
という戦略的な行動を
選択するようになります。
自己効力感の強化
『相手が変わらないから不幸だ』という
被害者問題意識を捨て、
『相手がどうあれ、
自分は最善の
パフォーマンスを尽くす』
という
コントロールの所在を
自分に戻します。
ーメタ認知ー
『なぜ自分はこの相手を
問題だと感じるのか?』
を分析し、
自分のバイアスや
弱点を特定します。
そしてこれを
修正することで
将来的にさらに難解な人物や
状況に対応できる
『対人交渉力を資産として
蓄積していく』のだと
思います。
サクラ🌸
相手の問題に見えていることも
自分の何かが反応したとき…
それは
もしかしたら自分の問題でもあるのかもしれない
相手のこととして見ることもできるし
自分に気づく
きっかけなのかもしれないね🌙✨
ソマチッド
自己理解受容味方になるまで
味方になれないならなれないなーと感じるまで

あろは
しがらみってつらい🙃

ふー
自分とオーバーラップする部分を感じいて、終わっているというより気にしている感じがします。解決してても気持ちが残ってるように思われます。
引っかかる部分が解消されたら問題ないと思います。

コーユー
自分のせいにすれば主体的に動けますが、しんどさもあります。
相手のせいにすれば気持ちは楽ですが、解決は相手次第になります。
環境のせいにすれば誰も傷つきませんが、解決からは遠くなりがちです。
大事なのは、これらは「事実」ではなく「見方」で、状況に応じて自分で選べるということだと思っています。
ただ、相手の問題に見えるときほど、それが本当に相手の課題なのか、それとも自分の中の未整理な感情の投影なのかは、一度立ち止まって考えたいところです。
そして、私は見方を選ぶことは、人生の舵を自分で握ることにもつながる気がしています。
ティリル
問題に見えるものしか問題に見えない。
同語反復ですがかなり芯を付いてる気がします。
食べ物で例えます。
僕は食べ物しか食べ物に見えませんし、その中でも「好きな食べ物」と「嫌いな食べ物」、「好きでも嫌いでもない食べ物」に分けてしまいます。
意思というかほぼ自動的に分けてしまう。
「相手の問題」も同じようなものかも知れません。
つまり僕にとっての「問題に見えるか」によってほぼ自動的に選別してしまう。
もっと分かりやすい例だと「足が速い人が足の遅い人に対して勝手に同情する」という状況です。
足が遅い人を見て勝手に「足が速くなりたいだろう」と問題化してしまう。
このようなことって頻繁に起きてしまう気がしますね。
学びを得ました。良い問いでした。

凪
自分の中の何かに共鳴してるんや、

pophat
自分の襟を正してから、自分の問題として相手にも共有するのが一番良い流れだとは思います
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