相手の問題に見えるときほど、それは本当に相手の問題なのか。それとも、自分の中でまだ終わっていないものなのか?
H君
サクラ🌸
相手の問題に見えていることも
自分の何かが反応したとき…
それは
もしかしたら自分の問題でもあるのかもしれない
相手のこととして見ることもできるし
自分に気づく
きっかけなのかもしれないね🌙✨
ソマチッド
自己理解受容味方になるまで
味方になれないならなれないなーと感じるまで

あろは
しがらみってつらい🙃

ふー
自分とオーバーラップする部分を感じいて、終わっているというより気にしている感じがします。解決してても気持ちが残ってるように思われます。
引っかかる部分が解消されたら問題ないと思います。

コーユー
自分のせいにすれば主体的に動けますが、しんどさもあります。
相手のせいにすれば気持ちは楽ですが、解決は相手次第になります。
環境のせいにすれば誰も傷つきませんが、解決からは遠くなりがちです。
大事なのは、これらは「事実」ではなく「見方」で、状況に応じて自分で選べるということだと思っています。
ただ、相手の問題に見えるときほど、それが本当に相手の課題なのか、それとも自分の中の未整理な感情の投影なのかは、一度立ち止まって考えたいところです。
そして、私は見方を選ぶことは、人生の舵を自分で握ることにもつながる気がしています。

絵描きのぶりちゃん
勝手に食べた母ちゃんも悪いが、自分も悪いよね?
どうしてさっさと食べなかったんだい?
どうして名前を書かなかったんだい?
だから俺は母ちゃんを許さない
ティリル
問題に見えるものしか問題に見えない。
同語反復ですがかなり芯を付いてる気がします。
食べ物で例えます。
僕は食べ物しか食べ物に見えませんし、その中でも「好きな食べ物」と「嫌いな食べ物」、「好きでも嫌いでもない食べ物」に分けてしまいます。
意思というかほぼ自動的に分けてしまう。
「相手の問題」も同じようなものかも知れません。
つまり僕にとっての「問題に見えるか」によってほぼ自動的に選別してしまう。
もっと分かりやすい例だと「足が速い人が足の遅い人に対して勝手に同情する」という状況です。
足が遅い人を見て勝手に「足が速くなりたいだろう」と問題化してしまう。
このようなことって頻繁に起きてしまう気がしますね。
学びを得ました。良い問いでした。

凪
自分の中の何かに共鳴してるんや、

トリア🐕
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