共感で繋がるSNS

恨まないという事の圧倒的非救済性と人間の精神的要素について(本文あり)

何をされても恨まない憎まない人が居たとして、その人を傷つけてしまったとする。傷つけられた人はそもそもその傷の代償を外部に求めないので謝らせて貰えない(形として謝っても加害側の自己満足になる)。これは赦しとは正反対の態度だと思うのですが、そんな奴は居ねえ!と思うと人間の精神的な条件の一つに恨みや憎しみが要素として必須になる。これにはどーも違和感というか拒否感がある。皆さんどう思います?
風の音

風の音

私の場合、人間の感情は対になるので「喜び」には「喜ばない」「悲しみ」には「悲しまない」が共存し、それを理性がバランスを取ってる状態だと思ってます
なので「恨まない」の対として「恨む」という感情はなくすことができず、「恨みからの敵討ち」が法律で禁止されてることからわかるとおり、法律を作るほどその感情は昔から存在してなくならない感情ではないかと思います。

腕を切られても両足を切断されてもけして恨まないひとがいるとすると、その人は「他人をけして恨んではいけない」という信条や悟りに至っただけであって、一瞬発生する怒りや恨みを瞬時にそれらが消しているだけのように思います[笑]

もし、何をされても反応しない人が存在したとしても、その周りの人たちが「恨みや憎み」を持ち、被害届や訴訟を起こすように思いますが、いかがでしょうか?[笑う]
哲学哲学
GRAVITY4
GRAVITY10
シフ

シフ

何故『加害者を赦す行為を必須としているのか』の部分で論理に飛躍があると思います。加害者が責任を果たさなければならないという話なら分かりますが、被害者側が何故追加で労力を割かねばならないのか。

そしてそもそも被害者が赦したか赦さなかったかではなく、加害者側の罪悪感がなくなれば救済です。
謝罪して受け入れられて赦されたと感じる人もいれば、喧嘩した後、普段通りにしている相手を見て赦されたと感じる人もいます。逆ギレしてまくし立てて相手が黙ったのを見て『自分の方がやっぱり正しかった!』と開き直るケースもあるでしょう。
被害者側のアクションは影響はしますが、加害者の救済は加害者の思考によるところが大きいので、『被害者側が赦してやらないと加害者は赦されない』ということはありません。ので、恨む必要もないです。

そして最初に述べた、そもそも加害者が被害者側から赦される必要は別にないです。法治国家ですので。犯罪を犯したならその罪を賠償すれば良い。それで本来は責任を果たしているのでそれ自体も救済です。
哲学哲学
GRAVITY3
GRAVITY6
くりまんじゅうG

くりまんじゅうG

釈迦の説法の中にもあったと思いますが、“傷付けた”ことも“謝罪した”ことも当人が受け取っていなければ、何事も無かったのと同じです。
“怨みつらみ”は人を構成する要素のひとつですので抑制するのではなく、感情の揺れを静観する事が大切だと語られています。
哲学哲学
GRAVITY1
GRAVITY3
並行次元

並行次元

その人を傷付けたと言っていますが、「その人を傷付けられる」と思っていること自体が発想の中の傲慢さの表れだとシンプルに思います。その人は傷付けられない。
哲学哲学
GRAVITY1
GRAVITY3
双六なおき

双六なおき

謝ったら良いと思います!そうしたら赦して貰えるのでしょう!( *゚ェ゚*)ノ
哲学哲学
GRAVITY1
GRAVITY51
ひろみ

ひろみ

難しい事は解らないけど
確かにそんな奴は周りになかなか居ない。

でも時々そんな奴が出てくる。
それがキリスト、仏陀って事です。

そしてその選別がされているのが現代、
人類だから人間はよく考えて
生きなければならないって事です。

そして先輩のキリストや仏陀になれる
チャンスが世の中には溢れてるって事です。
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY2
れん

れん

恨まない‥憎まない‥人が
傷つけられたと感じるのか?が
疑問です‥。
謝罪も加害も全て主観でしかないですよね。
哲学哲学
GRAVITY1
GRAVITY25
サト

サト

恨まない=謝らせてもらえない
に違和感かな

恨まない=無条件に謝罪を受け入れる
なんだと思う

であればお互い救われると思うよ
あくまで表面上は
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY