あなたの「未熟さ」を教えてください

紫苑しおん🐈⬛️
内容を集めるものではありません。
人が自分の未熟さと
どう向き合っているかを、
露呈させる問いです。
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実際の回答も分散しています。
怒りや依存を語る人。
「全部」と広げる人。
「ない」と切る人。
あるいは問い自体をずらす人。
これはバラつきではありません。
未熟さではなく、
未熟さへの距離の違いが
現れているだけです。
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そもそも未熟とは何でしょうか。
未熟とは、欠点ではありません。
熟する可能性を前提にした状態です。
赤子の頃と比べれば、
人はすでに多くを獲得しています。
それでも未熟だと感じるのは、
比較の基準が理想や他者に移るからです。
人は成長するほど、
自分の未熟さに気づけるようになる。
私であれば、
相談できないこと、
「助けて」と言えないことを
ポジティブな意味で未熟だと紹介します。
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ではなぜ、
未熟はあまり語られないのでしょうか。
未熟は言語化できます。
しかし、多くは語られない。
それは、語った瞬間に
評価・責任・固定が発生するからです。
語れば、
「そういう人」として扱われる。
語らなければ、
まだ曖昧なままでいられる。
だから人は、
言えるが、言わない。
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ここで一つ、重要な視点があります。
ミシェル・フーコーは、
人が自分を語る行為を
「告白」として捉えました。
人は語ることで、
自分という存在を形作っている。
つまり未熟を語るとは、
弱さを見せるだけではなく、
「こういう人間である」と
自分を規定する行為でもあります。
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だからこそ、この問いは重い。
未熟を見せるとは、
自分の価値の一部を
他者に委ねる覚悟である。
「ない」は境界の選択、
「全部」は固定の回避、
語る人はそれを引き受けている。
どれも間違いではありません。
立っている位置が違うだけです。
ーーー
この問いは結局、
未熟とは何かではなく、
あなたが自分の未熟さと
どの距離で関わろうとしているのかを
映します。
無理にさらす必要はありません。
扱える形で関わり続けること。
未熟は消すものではなく、
関わり方を整えていくものです。
その中で誰かと関係を持てたなら、
それも一つの歩みです。


Juba

ノ夕@話そ
自分より出来の良い存在を尊敬できない

イルカ

すん

ラズー
強いて言えば、気の落ち込みから立ち直る術が少ないところ。

薄明

秋津 真幸
正しく物事や相手と向き合えていないと感じます
それを咎めようとする自分も居る
正せない怠け者の自分も居る
まだまだ修行が足りないですね[ほっとする]

黒猫

しゅう
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