自分の選択のうち、本当に自分が決めたと言えるものはどれか。

正宗(ろー)
頭の判断と心の声はどちらが『自分が決めた』といえるのか?
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[星2]深掘り
人間の脳を、『知覚主体』+『情報処理の箱』として考えると、
『情報処理の箱』が計算した解を『知覚主体』が受け取り、これを自分の思考と認識していると考えられます。
また、人間の意思決定には、不可知、前意識、意識的な『制約』が多様に絡むので、実際には人間の思考は『制約』により思考探索空間が狭窄されているので、制約条件下で自動判断・半自動判断・能動判断を行っていると解されます。
問いとの整合を考えると、『自分で決めた感』が強いものに対して、自分が決めたという感覚が湧くでしょうから、この場合は『よく比較して、悩んだ末に、決めたもの』が挙げられることが多くなると思います。
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一方で、『情報処理の箱』と『心』は別に存在すると、仮定すると、『頭で考えたこと』と『心で感じたもの』のどちらが〝本当に自分で決めたこと〟なのか判断に悩みました。
経済的に豊かではなくとも、妊娠した子どもを産み育てたい気持ちは『頭で考えたこと』というよりも、『心で感じたもの』に近い気もします。
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哲学の星のどなたかの投稿で見ましたが、合理には複数の合理があり、
▸ 経済的合理
▸ 社会的合理
▸ 感情的合理
▸ 短期的合理
▸ 長期的合理
があり、合理ですら思考の制約になり、競合を起こし、この競合は基本的には知覚すらされないと思います。
合理に基づいた意思決定が自分が決めたことなのか、これは制約下での局所最適化的な解なのか、あるいは合理とは異なる心の声があるのか。
そして、人間の思考は常に一定ではなく、精神状態や感情や飽きやサリエンスで変化するものだと考えられます。
この場合は『その選択が正しいと思いたい』と働く思考操作もあるでしょうから、これが生じているものが『自分が決めたこと』になっている可能性もあります。
そのように考えると、『本当に自分が決めたこと』が分からなくなりました。
…というオチの無い備忘録ですねこれは。
ラフに答えるなら、社会価値や経済的価値に振り回れずに生きる生き方を選んだ(なった)ことは、自由意志によるものだと思います。
ただ、これは選択というよりも、そうならざるを得なかったとか、自然とそうなったというニュアンスが強いので、いわゆる意思決定的な

Noriko
死なないこと

風の音
この選択前に店員がほかのドリンクを進めてきて、意志がぐらついてそれを1つでも注文したら、それは「他人のおすすめを参考に、飲んでみようと思った自分が決めた」ことになります。
たとえそれが、他人から見たら「店員にうまく乗せられたぞ」と見られても、最終的には自分でそれを選んでます。
友達に選んでもらったり、店員に「今日のおすすめを持ってきて」と「自分の最終決定なし」にドリンクを選ばせたのなら、それは他人が決めたことになります。
ジュースで例えましたが、これが宗教の勧誘であったり、壺を購入する場合であったり、誰かと付き合うことやわかれることを選ぶことであったり、と何かを決定するときに自分が最後に決定権があるものについては「自分で決めた」ものとされ、場合によっては責任も問われることでしょう

憂い顔の騎士

こうた

pophat
Kite

はかり
それらは伝達経緯の複雑さによって、その受動性を認知できなかったが為に能動的であると誤認しているだけである。

よっちゃん
もしかしたら我々は自信をいつからか所有していた気になっているだけなのかも知れない。

春蕾
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