「無意識」は直接観察できないらしいが、では間接的に「無意識」を観察するには?

第四検閲室

りゅう
Shu
もう一つの問題のポイントは、無意識の「観察」という概念に「意識して行うこと」という意味が含まれる一方で、脳はリアルタイムで何かを意識しつづけている、というところだと思います。
結論をここでまず述べると、無意識だった時間を後から認識する、ということが哲学から離れすぎず、かつ現実的な理解に足るものだと思います。
「植物の成長を観察する」ときも、伸びていく瞬間をずっと直接みているわけではないですよね。
後から、動画や長さの記録を見て、観察結果として誰かにみせたりするわけです。
今日のライブ、無意識にビートに合わせてノッてたな、ということを帰りの電車で思ったら、それは無意識を観察しているといえると思います。
つまり、「観察」という言葉は文脈によっては「リアルタイム」という条件を含まないので、可能だということです。
脳はリアルタイムで意識し続けるものである、という前提から生まれた問いだと思いますが、過去や未来も意識するし、もう一点、「観察」の定義は意外と広いということがポイントではないでしょうか。

並行次元
別な事例としては、車を運転する時に左に曲がるとします。左には意識的に回していますが、無意識のうちに右に回しているのは、意識的にモニタリングできます。
これと同様にドアノブを意識的に回転させるが無意識のうちに元に戻している。ドアを意識的に開く、無意識に戻す。何かをすると反動的な動作が必ず発生しますが、その反動については常に無意識なのです。

カカ

並行次元

サト
例えば「人がいないことを確認する」には「人の数を数えて0人であることを確認する」ようなもの
無意識に置き換えると
「意識的だったか?」と問いかけて「違う」となれば無意識なんじゃないかな
ただ、一番の罠は
「無意識だから行動したことすら気付けない」
ということ

むむ

冬寂
たろう☸️
今だと、自分にアクションカメラを付けて撮影し、その動画からさまざまなパターンを抽出する事でできそう
客観的に自分を観察することと行動や感情パターンの記録化、パターンの分析は、無意識を観察する上では必須かと
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