日本語は哲学に向いているか?

さく
向いているかもです
哲学に向いてるなら
ギリシャかなぁて自分は思います

正宗(ろー)
ニ値判断だと不向き。
しかし、局所には向いてる。
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[星2]ざっくり
日本語は、話者が少なく、記号による漢字と、その記号による漢字を重ねた熟語と、多義語と、文脈依存語が多いので、あまりプラグマティックではないと感じる。
一方で、和歌とか小説とは好相性だと思う。
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[星2]掘り下げ
▸ 百人一首的要素⇨表像という『表』と、その『裏』を読む必要がある。
▸ 和歌的要素⇨文節ではなく、連なりと推定と補完により、広い解釈可能性を持たせつつ、情感や情景を伝える
▸ 漢字的要素⇨漢字一文字に意味が圧縮され、その圧縮された漢字を重ねることで熟語を作るが、熟語のパターンが指向性を持つ場合(収束)と、語彙の射程が広くなる場合(拡散)とがあり、熟語の法則がカオス的。
▸ 翻訳的要素⇨話者が少ない。また、外国語彙を輸入するときに適切な語彙が無ければ作成され、あるいは既存語彙で代替されるため、翻訳という障壁がヨーロッパ言語や英語よりも高い。
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日本語は構造を説明しづらい。
例)
▸ 外的、内的、外向、内向
▸ ◯◯から、◯◯に対して、
のような二項型が多く、構造的形態を表す語彙が少ないので、表現するためには文章表現に代替されがち。
(赤矢印は心、青矢印はコミュニケーションにおける表出、紫矢印は感情等)
英語だと、前置詞が構造的形態を表す機能を担っていると思う。
起点がどこで、終点がどこで、どこからどこまでのベクトルなのかを明瞭に扱えないと、解釈や認識自体も語彙粒度に応じて引き下げられてしまう可能性が高い。
これは構造把握や伝達において明確にデメリット。
一方で、文章表現の工夫に迫られるという意味では文章力が上がる可能性もある。
ここは、
〝高度な職人的技能が求められる(日本的熟達) ⇄ 合理的に設計し誰でも扱える(アメリカ的合理的)〟
みたいな文化とも接続されている気がしなくもない。
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哲学は、構造や命題を扱うことが多く、命題は論理式の形で記述できるからまだ良いとして、構造を上手く表現できる語彙粒度が高いことが要請さらると考えました。
人工言語のエスペラント語は、実利で英語に劣り、普及はしなかったけど、
構造に特化した構造言語を目指していたら哲学界隈というニッチな分野で普及したかもしれないなんていろいろ考えました。




くちく
そのため、判断を示す「モダリティ」(「〜だろう」、「〜しよう」)が後にきます。だから、物事を叙述するのに断定するにも、最後まで述べる必要があります。
思考が複雑になり、複文化すると文末にかかる比重が大変重くなります。結論を得るには前の文節との関係を何度も吟味する必要が生じてしまうのです。
ゆえに、何かを基礎付けようとすると一文が極端に長くなるので難しい。一方で、ポストモダン的にそれ自体が複文化することで構造を脱臼させるような思考は得意なはずです。
知らんけど。

雲刻星

mon
但しこれは誰かの唱えた哲学を理解するお勉強であって、自分で哲学を作るに何語でも対した差はないでしょう。もちろん他の言語や文化を学ぶ経験することより日本語の特徴 長所 短所等が見えて、それを考慮にいれることは良いことでしょう。
真面目に考えたいかたは、若いうちにをそういう経験を積まれることお勧めします。
日本語がむいているかどうかは、他の言語と比較は必要でしょうね。

ナトル

RYU

ぬらぺっちょ
その社会が単純な言語を必要とするからであって、人はその社会で生きている。
哲学の本質は人なので、社会が違っても本質は同じ。
日本語も外の言語も哲学の特徴が違うだけ。
日本語での哲学は日本の社会での哲学に向いている。

