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『問い』と『全ての人を納得させる難しさ』の関係について。回答者の心に不快を感じさせないことは『問い』にどこまで求められるか?(画像参照)

多くの哲学コミュニティは3年以内に崩壊することが統計的に示唆されていますが、主因は『作問者が居なくなる』のようです。
ワンコおじさん

ワンコおじさん

万人が納得する答えを出す必要があるのは、それが存在する前提があってこそ。
数学とか物理とかね。ま、今はそうでもないみたいだけど。
哲学なんてものは主体の位置やスタンスでいくらでも答えは変わる、時代だったり肩書きだったりそういうものでも変わる。
だから、「問い」に対する「答え」はそもそも万人受けしないし、する必要もない。答えにそれを求めた時点で答えは答えとしての性質を失う。

つまりあくまで「問い」は問いであり、それ以外の何かを求めるなら問いもまたその本質を失う。問いは問うこと自体が目的で問うこと自体が答え、ということだと思う
哲学哲学
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のぼ

のぼ

ヒトは動物
動物が鳴くのは『死に近づいた時』
だから、ヒトも不満が溜まった時に鳴く
「このまま生きてらんねー」って

表現してよい場面では、そうなりがち
「鳴きたいんだね」

優しさには気力が必要なんだ
鳴く必要がないのに鳴かなきゃいけない

満たされた人しか
本来は優しくなんて出来ない

相手を満たしてあげる
自分を満たしてあげる

その先に納得がある
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憂い顔の騎士

憂い顔の騎士

求める必要はないと思う。『問い』はあくまで『問い』であり、回答者がどう感じるかは、回答者自身の問題である
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ふー

ふー

問いについて
作問数とかける時間に限りがあると思われます。
新たな作問者が増えれば長く続ける事が出来る可能性はあると思われます。

全ての人を納得させるについて
挿し絵を見る限り問いの真意が伝わらない状況で好き勝手な解釈をする誹謗中傷的な形に見えます。状況の理由が伝わらない以上、何かに対して納得する状況ではないと思われます。

全ての人を納得させるには全ての人に対して個々に納得してもらう説明して理解していただく膨大な時間と労力が必要となるので難しいという事になっていると思われます。
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ぱーく

ぱーく

だから民主主義があるのだろう
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いしのみ

いしのみ

求めなくて良いだろ
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サト

サト

あくまで個人的考えとして

その例に当てはめるなら
万人に受け入れられる問は不可能だと思う
コミュニティ維持に求めるなら
出題者側による問の多様性と
回答側による問の選別と受け入れだと思う
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風の音

風の音

「すべての回答者を不快にさせない」問の作り方は、先に自分が試行した「選択型回答」にコメント記載をさせないことで作成が可能です。
選択肢になければ「その他」を選ぶだけなので自分のマイノリティを知る一つの方法にもなり得ます(回答数が増えるほど)。

次に、その選択肢の「その他」に自分の回答を“理由記載なしでの回答”記載を必要としたら…
単なる個人の回答として参考にとどまることと思います(差別用語が回答以外で、他に例外があればコメント欄で教えてください)。

それでは、「その他の回答に、その答えになる理由をつけて」となった場合はいかがでしょうか?
挿し絵で言ったら、見ている人たちの呟きが「不快に思う理由」として書き込まれたとき、他の事情を知ってる人たちは「異論」を唱えるでしょうし、内容が人格否定や回答批判だった場合は、回答者が不快感をおぼえると思います。

つまり、「問」が個人の考えを記載する方式の場合は、挿し絵のように違う立場の人たちの「異論」「批判」が生じる恐れがあります。かといって回答者に忖度すると、回答を恣意的に誘導するとなって「問」の本質が歪んでしまいます。

「問」そのものが差別、偏見、攻撃等の内容でない限り、回答者に不快感を与えない配慮は回答者に求められると考えます
哲学哲学
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〆さば

〆さば

速攻でその画像が浮かびました。
不快でない問い…難しいですが頑張って考えてみます。
画像のおじいさんとおばあさんとロバがみんな楽しそうなら案外批判さにくいのかなとも思ったり…いやそんな事ないか、アホだと思われるか。
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