小学校に通う理由は何でしょうか?(本文あり)
制度や社会的意味をできるだけ離れて、「実はこれが理由なんじゃないか」という皆さんの洞察を募集します!子供が行きたがらないんですよね。
勿論、「色んな意味で実際に困る」みたいなものの実例でもウェルカムです!

正宗(ろー)
人間社会の基本構造はグラフ様相なので、グラフの中でノードとエッジを発現させる能力が必要になると解します。
自己主張しすぎたら衝突し、自己主張しないと自分が我慢することになり、自己主張の方法が下手だと周りに届かず、自分の方法が上手だと周りに届く。
これは正誤とは異なる人間の仕様として存在するので、小学校は『1:多の環境の中で自己を成立させる方法』の体験学習的側面が大きいと思います。
別の言い方をすると、人間のOSを考えたときに、個人能力処理系と集団能力処理系があると仮定した場合、仮定教師だと徒競走は上達し、サッカーでチームメイトに認められる理論は学べるが、その実践には『場』が必要で、実践がないと観測→評価→修正→挑戦→観測…というループが回せないと思います。
ただ、内向性が高い人の場合は、そもそもグラフの中に身を置くこと自体がストレスになることも想定されます。
なので、このときは、水泳が苦手だから休ませると、水泳に慣れさせるために休ませないという2つの考え方があって、
同時に、小学生本人の『イヤ』の感覚が、『本人の中でどのような位置付けや重み付けされるかが』が重要ですね。
例えば、ASD特性があったりすると、社会平均や場で求められることよりも、『自分の感じ方』が優先される傾向にあるので、この
〝自分感覚 ⇄ 周囲から求められる感覚〟(※)
の整合性確認は、社会適応能力という視点で見た場合はトレーニングの必要が出てきます。
また、一口に小学生といっても、(※)を理解した上で、あえて空気読まないをやっている場合もあれば、意識的な自己正当化、無意識的な自己正当化をやっているパターンと様々なので、
支援の形としては、その子供の、『自己における優先順位、重み付け、調停機能、自覚の有無』等にフォーカスするのが良いと考えます。
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場の中に放り込んで勝手に適応していく個体が3割くらいで、残りの7割は大小問わず、形式問わず、何らかのサポートやトレーニング等が必要になると考えています。
このときのサポートやトレーニングの形が、社会適応なのか、不快の回避なのか、個体特性への最適化なのか、『形』が異なるので、小学校に通う理由は、個体特性を把握するためという側面もあると解します。


憂い顔の騎士

ナリヒラ【裏声】
小学校は、その地域に住んでいる能力のバラバラな子供たちの集まりだと思います。
彼らとの交流の中で、
「この子は、周りの子より頭がいい」
「この子は、他の子より運動ができない」
というのに気がついて、人は平等に生まれてこない事に気がつく場所として意味があると思います。
自分と人は能力に違いがあるから、他人を受け入れる心を育てる場所として、意味があると僕は思います。

サト
「あの頃あれが流行ったよね」とか
それとは別として個人的意見になりますが
お子さんの行きたがらない理由を同じ目線に立って話してもらいたいなとは感じました
説得より共感かと思います

ペンペン
学校に通って同じ年齢やまたそれに近い年齢たちの中で自分自身を見つめて人間構成する大切な場だと思います。

高倉健一

なずむ

まさたか

しゅう
らしいよ

きゃん
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