「常識」について
皆さんは、「常識」と呼ばれている情報をどこで手に入れましたか?
私は常識があまり身についていなくて、友達と話しているときに「え、そうなの?」と聞くと「常識だよ?」と言われて初めて知る、ということがよくあります。
でも、その「常識」って、みんなどこで知るんだろう?とふと思いました。
学校?家庭?テレビやネット?
それとも、生活の中で自然に身についていくものなのでしょうか。
そもそも常識って、誰が作るんだろう?
そして、「常識」って本当にみんなに共通しているものなのでしょうか?
皆さんはどう思いますか?

款冬
「あなたに言っていた言葉」
がたぶん世界で一般的な常識だったとしたのだとしたのなら…
おめでとう…
おめでとう……
おめでとう………
ようこそこちら側へ

伯爵
アインシュタインの有名な格言です。
常識って、言ってしまえば
「その人が過ごしてきた環境で通用したコモンセンス」
に過ぎないんです。
逆に「それって常識じゃん?」
と言う方は、その認識が不足している方です。
自分の世界が、外の回と連続していると、信じて疑わない方。
では
「社会常識」はどうでしょうか?
こちらは
「社会生活を送る上でのルール」のことです。
赤信号で止まる。
ご飯を手づかみで食べない。
コンビニの傘を盗まない。
そう。
お察しの通り「国や場所やコミュニティが変われば、社会常識も変わる」ので、これにしたって偏見に過ぎません。
『ルール』に置き換えるとわかりやすい。
「折り紙は金色は使わずに取っておくのが常識でしょう?」
周囲がそれを是とするなら、そのコミュニティの中では「常識」。
それだけのことなんだと思います。
でも大抵の場合、
「知らんわい」ってみんな内心思ってます。笑

mon

仁
「赤信号みんなで渡れば怖くない」 僕は何ヶ国かふらついたことがあるが、車が来ないのに赤信号という理由で信号待ちしている人は日本以外では常識はずれの人である。 例え自分が悪いと確信していても、そこに利害があるなら認めないのが常識である。 夜9時に寝るのは常識になりうるし、約束の時間より5分前に来るのも常識になりうる。
つまり常識とは、自分に都合のいい形の自己弁護的な社会的押し付け規範。 できうれば、第三者に迷惑をかけないという前提に基づいた自己規範(良識)に基づく社会通念が常識として認められるようになることを望んでいる。

〆さば
否、常識の違う複数の環境を体験したせいで1人多元宇宙。
暗黙知とされるものが身体的に獲得されたものが常識かと思います。
とくさん
後は学校、職場なり
他の人から

たむい
その上で二つの観点を
この人はこれを常識なんだと考えているのか
と知ることができて良かった
その常識を疑う環境にいないと把握すると
連動してその人にとっての他の常識も見えてきます
そして、その人の常識を知らなかったことは
恥ではなく、なんの問題もない
「そうなんだ、教えてくれてありがとう」
で終わっていいです

