「こにんちは。にんげんののうは、ぶんしょうのさいしょとさいごがあっていればよめます。」私達は、なぜこの文章が理解できるのか?(本文参照)
問で扱った例題文は、文章が崩壊している。
しかし、数秒とかからずに内容を理解してしまう。
人間は、文章そのものではなく、補完したイメージから理解や認識を形成しているのでは?

ひたち
やるならもっと崩せ!

しょー

めなっち
けど文章そんなに崩れてないようにも見えるから普通に読めた笑
崩すならどう崩すのがいいんだろうー
「こにちんは。にんにんげんのうは、はぶんしょう、のサイショの際ごががあってりればりかいできたますやで。」「すまん、にんにんはにんげんやで」

サト
ちゃんと答えると、文脈からの補整能力だと思う
丹後が違うとか返還ミスしてもある程度言おうとしてることが読めれば察せてしまうんだと思う
たまにどえらい誤解は生むけど

ラズー

てかがみ
手書きの文字を認識する時がわかりやすいかもしれません。私たちの脳は、癖のある手書き文字でも、文脈や部首で何が書いてあるかを認識できます。同じことが文章単位で起こっているものと。
なので、重要なのは「文章の最初と最後」ではなく、それが他の文章と区別できる要素、ではないでしょうか。……これ哲学??

