人は「理解」したいのでしょうか。それとも「意味」を見つけたいのでしょうか。

ねこらむ
そもそも各個人で理解度やその物差し、意味付けもバラバラだと考えてるので、より未来で他者との価値観との比較、不必要な傷つけ合いや好奇心衰退の抑止力としては理解したいと思います。
物事や考え方に意味を見出し始めると、『何の意味があるのか』という結果を基準にするようになって無気力感に繋がると考えてます。

ゆい
何故自分は生を受けたのか、この環境で育たなければならなかったのか、この仕事は意味あるのか等、問いが必ず出てきます。
理解したい事もしたくない事も有るし意味を見出したい事も有ります。そう思うのが、探すのが人生じゃないでしょうか。

憂い顔の騎士
だるま落とし
物事のアレヤコレヤを色々考えてるここの人達は『理解』した上で『意味』も同時に考えたり、『意味』を考えてる中で『理解』していってる人がいる。
「これってどういう意味?」ってのは、『理解したい』より『知りたい』で止まったままの人が多いなって思う。
(なぜそう思うのかはどっかで誰かが言ってた。『投げっぱなし』に納得したから)
だから、たまに『理解したいの?』『意味を考えたいの?』、いや〜『そうしたい自分を知ってもらいたいんじゃない?』って思う。
俺は多分理解したいんだろうと思う。特に相手が人間の場合は。

han
理解したくても、自分が納得するための意味を。
自分の人生だから。

がっしぃ

ひー
ニシナリ
人は答えや原因を知ると安心する生き物。

シンちゃん

正宗(ろー)
この2つは『気づく』によって支えられている営為と考えます。
どれだけ理解しようとしても、その場面や状況によって求められる『気づき』が存在し、気付きは主体側にも客体側それぞれに必要な場合があると予想します。
意味についても、意味は意味化によって意味を持つという性質があるので、意味は主体によって解釈等の営為がされることで顕在化すると考えました。
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また、
心理学的には『人は、自分を理解して欲しいという気持ちがすごく強い生き物』なので、本問は法則の発見という視点か、心理学的な視点かで回答も転回すると感じました。
理解欲求や理解されたい欲求、意味化欲求のような『欲求』を使うことで一応の整理はできますが、
『気づき』にせよ、『欲求』にせよ、別レイヤ(手前のレイヤ)に動機やエネルギーがあり、そこから理解や意味へと繋がっていると考えます。
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