共感で繋がるSNS

批判・議論は何を目的としているのか? あるいは、そのマナーやモラルはどんなものが浮かぶか(本文参照)

勝ち負けゲーム? 自己有能感を満たすゲーム? 知的アイデンティティを守るゲーム? 精緻化ゲーム? コミュニケーションゲーム? 前提等の不可知領域やメタ視点に気づくゲーム? 共生成ゲーム? see: ウィトゲンシュタインの言語ゲーム
おもち

おもち

マナーやモラルは国によっても違いますよね。議論は日本では避けられがちですが、米国などでは寧ろ議論が日常的に当たり前になるそうなので。
なので、目的というより、生きる為に必要に迫られる世界もあったりするのだと思います。日本にはそう言った国々の気質をどういう理由かは様々なのでしょうが、真似している人もいるかもしれないですね。
哲学哲学
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仁

まず思考とは何か?
人間が人間である事の証明の一つに含まれるものであると思います。そして、批判や議論はその思考に対して行われるものであるという前提で間違ってないことを確認しておきます。
しかし、批判や議論は個人に対しての人格や行為にも向けられることができるので、ここではあくまで思考に対することに限定します。
その上で、批判 議論は自分の人間性及び技術を向上させるための効果的な行為であると思います。
まず思考に影響を与える大きな媒体は文化です。個人は、自分に与えられた形で重ねられてきた経験と、育まれた環境から自分だけの思考形態が出来上がってきます。そこに、同時代の他者の思考が絡み合うことにより、衝突が生じます。それを受け入れるため 或いは拒否するため 批判 議論 が発生するわけですが、どうしても自分とは違う形態で生まれた思考の衝突ですから、自己防衛的に否定と言う感情が出てきてしまいます。これは人間として当たり前の心理です。故に議論であるべき交換が批判から進展せず、否定で終わってしまう状態になってしまうことが多々起きてしまいます。
要はこの現象をいかに防ぎ、自分に意義のあるものにする方法をどう定義するかが重要です。
まず、 批判 議論 は必要です。 故に基準(ルール)を明確に自分に義務付けます。
Discussion(議論)debate (自分の主張の正義)
Argument (口喧嘩)であれ、遠慮はいらない。ただし絶対条件として 『丁寧語』『尊敬語』でなければならない。これを条件とします。
後付け加えるとしたら 人格批判 だけ。
このルールを厳格に義務付けることで面白い程の有意義な討論ができると思うのですが?
哲学哲学
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Jaco_ten

Jaco_ten

ストレス発散。本当の金持ちはクレームがない。中途半端な金持ちはクレームが多い。貧乏人はクレームしかない。ストレス多いと人生を悲観する傾向が高い
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サト

サト

たぶん、注意すべきは言葉の射程だと思う

議論であればターゲットは議題に付随する部分
行為に対する批判であれば事実ベースでどこが悪かったのか

やらない方がいいのはターゲットがその人自信になることとか
考えを推測して固定してしまうことだと思う
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キノ

キノ

アウフヘーベンと検索してみると良いでしょう。


テーゼ→テーゼvsアンチテーゼ→ジンテーゼ

 
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正宗(ろー)

正宗(ろー)

私は、

コミュニケーション
└SNS
 └コミュニティ
  └人間関係
   └批判・議論

の階層認識で、

共生成ゲーム、前提等の不可知領域やメタ視点に気づくゲーム的に解釈しています。

この場合のマナーは、相手に対する知的敬意とリスペクト、モラルは自己更新することを恐れないことだと考えました。
(私の場合、批判・議論を行うにあたって、その上位階層の、コミュニケーションマナー、SNSリテラシー、コミュニティの理念や規範は自動的に適用されることになります。)
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