信じることは強さでしょうか?

H.I

シロchan

〆さば
信じる事は強さの源泉になるか、ならYES。
ただ逆も然り。
信じる事(心の持ち様)はそれをベースにした行動の結果によって如何様にも解釈されうる。
何かを信じる事は信念の強度的には強い。
だけどここで問うているのは実世界と接続された社会的な強さだろう。盲信する事は社会的失敗を生む可能性があり、精神的に勝利したとしても客観的には弱い敗者にもなり得る。
信じる事は燃料で、それをどう活かすかが結果としての強さになったり弱さになったりするのではないかな。
もし閉じた「信じる事は強さである」という集団の中で一生過ごすのなら強さはそれ自体が価値なので強いとも言える。

Lily

jwB
可能性を信じられるか
間違がった自分を信じるのは間違いに気付く
自分を正せる余裕があるか
それが重要

ジロー

つんつん
結論から言えば、それは間違いなく**一つの大きな「強さ」**だと言えます。ただし、その強さにはいくつかの側面があるように思います。
1. 揺るがない「軸」としての強さ
周囲の意見や状況が目まぐるしく変わる中で、何かを(あるいは自分を)信じ続けることは、荒波の中で碇(いかり)を下ろしているようなものです。迷いが生じても立ち戻る場所があるというのは、精神的なタフさにつながります。
2. 未来を切り拓く「原動力」としての強さ
「できる」と信じることで、人は初めて最初の一歩を踏み出せます。不確かな未来に対して、根拠がなくても「きっと大丈夫だ」と一歩を踏み出す勇気は、信じる力から生まれるエネルギーです。
3. 「脆さ」を受け入れる強さ
実は、信じることは「裏切られるリスク」を引き受けることでもあります。
信じていたのに期待外れだった
信じていた道が間違っていた
こうしたダメージを受ける可能性を承知の上で、それでもなお信じることを選ぶ姿勢は、単なる頑固さとは違う、しなやかで芯のある強さと言えるでしょう。
一方で、こんな考え方もあります
一方で、信じることが「盲目」になってしまうと、それは時に危うさにもなります。
真の強さは、「信じる心」を持ちつつも、現実を冷静に見つめる「客観性」を併せ持つことにあるのかもしれません。今のあなたにとって、その問いが心に浮かんだのは、何か大切な決断や変化の途中にいらっしゃるからでしょうか。
もしよろしければ、どのような場面でそう感じられたのか、もう少し詳しくお話ししてみませんか?

ナツキ

シンちゃん
縛られない自由ほど怖いものはない。
いつも迷うことになり心は落ち着かないからね!

蘇我靈眩導師准尉
信じ続けられて良い方に向くなら「良い強さ」と言えるだろう。
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