人が哲学するについて、一番初めに考えるべき問題、一番大切な問題は何だと思いますか。

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自分はこの問題が未解決だから哲学してる気もする気もない。

とも

SHO

正宗(ろー)
例えば、憲法前文にはGHQ主導で作成した崇高な理念がありますが、この理念だけでは国家運営も市民生活もままならず、『理念』とは別に『制度・様式』が必要になります。
哲学は批判を行い、命題の精緻化を図る『制度・様式』がありますが、精緻化は自転車で例えると細部のパーツのメッキをニッケルメッキにするか、クロームメッキにするかで議論している常識にもなりやすく、『進んでいるけど進んでいない』に陥りやすい側面もあります。
高名な哲学者が遺した言葉を反芻すると、不毛な議論ばかりしてないで、哲学しようという想いのようなものを感じました。
何をもって不毛とするかについてはここの哲学観があるので私が決めることではありませんが、我武者羅に精緻化に奔走することよりも、人間の知的営為をどこに向けて、何を考えるかという哲学の理念があるような気がします。
私はにわかとカジュアルさを込めて、自分の哲学スタイルを庭哲学と勝手に呼んでいますが、私にはこの庭哲学のスタイルが自己の探究活動に整合します。
博士を目指すのであればそれ相応のスタイルや知的営為が求められ、その他の探究活動がある場合にはそれ相応のスタイルや知的営為があるので、必ずしも哲学研究することだけが哲学ではないと解しています。
哲学という語はその体系内にメタ哲学を含み、さらにすべての学問の基礎的な性質を持つので、非常に広い射程の語だと思います。
だからこそ、哲学のための哲学ではなく、自分の探究活動のための哲学という考え方があっても良いと感じています。
そして、このように解する余地があるからこそ、アカデミックでは哲学の“核”となる部分を堅守して、その質を保ちたいという営為が行われているようにも見えます。
学問としての哲学と、営為としての哲学は、重なっている部分もあり、同時に異なる性質もあるため、自分の理念に基づいて、哲学の理念を考察しつつ、各々の探究活動を行うことが大切だと考えます。

シロchan

めなっち
ただ、人に「なんで」と聞き続けるのは嫌われるのでやめましょう
「なんで謝らないといけないんだろう」とか「なんで感謝されると嬉しいんだろう」でもいいし「死なのを止めるのはなんでだろう…死は悪いことなの?」とかでもいい
とりあえず今目の前にあることに問いを投げで広げたり深めたりするのが哲学だと思う
俺哲学あんま知らんけど
ティリル

ナトル

妄想オヤジ
ソマチッド
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