『最高峰の教養』は何だと思いますか? もし一つだけ挙げるなら何になるでしょうか。
知識量ではなく、人としての在り方という意味での教養です。
その結論に至るまでの
起点となっている価値観や経験も教えていただけると嬉しいです。
私の解答例を投稿しておきますので、参考にしていただいても嬉しいです。

ヤン卿

あた
それが無くては、高度な知識も自分の存在自由も、まったく無価値です
しかしながら「いかに捉え、いかに愛するか」という点では論議の余地を大いに残しますし、誤ったものを正解と思ってしまえば、途端に邪悪な考え方となります。
それらをも『雑多な事象に過ぎない』とするなら、根本的な考えが勿論必要ですし、上掲の論題はより狭く到達の難しい所にあるのでしょう。

モホロ

ジゴロ❤️🩹🥺

ブヒっと君
キニラ

正宗(ろー)
❷上流階級の教養 or 社会実装される万人が享受される教養
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❶について
人間の生には『適応』が不可欠だと考えます。
〝魚は泳げるけど飛べない。鳥は飛べるけど泳げない。〟
とすると、
魚として優れていても鳥集団には適応できず、魚として優れていても魚集団には適応できず、この場合、その集団内で結果を出せない、あるいは周りと同じ水準に達していない自己を認識して、自分は劣った存在であるという、『醜いアヒルの子』現象が生じやすいと考えます。
現代社会は資本主義構造ですから、資本主義構造の中に『適応』しようとすると、人間に求められる能力や知性、教養が限局されると考えます。
なので、教養について語るときもどの社会を想定して考えたら良いか、という問が浮かび上がるました。
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❷について
教養は常に知的資産となりうるので、裕福な家柄であれば、公教育だけでなく、非常に優れた家庭教師を多数付けることができる一方で、一般仮定や貧困仮定ではそれができず、ここに『教養格差』が生じると考えています。
なので、限られた人に向けて提供される教養と社会通的に実装される教養とには大きな乖離があることが想定されると考えました。
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ここからは私の考察ですが、
ノード(個)に注目した教養は相対的に価値が低くなると思います。
高い能力があるノード(個)は個人協議では活躍できると思いますが、人間の営為の多くは集団教義であり、AIの登場により、さらにノード(個)の個人種目特化的価値は低下すると予想します。
そのように考えると、今後はグラフ(ネットワーク的)的な能力や知性のニーズが高まると思うので、その方がビジネスでも、QOL面でも、良い結果が得られると思います。
また、この場合において障壁となるのが、人間は狩猟・採集時代の方が圧倒的に長く、遺伝子もそのときの形態から変わっていないので、人間は原初的な生理構造を持ったまま現代生活を送っていると解することができます。
結果として求められる教養は、『自己体系を更新し、共存のためのネットワーク型Intelligenceを前提とし、人や社会を善意前提で捉えられるようになる安定した自我を確立するための教養』と考えました。
自我が安定していないと防衛的・攻撃的態度になりやすく、これはグラフ(ネットワーク)

ナトル
Moonfish
失礼しました。

サト
教養は教養として学ぶものではなく結果として身につくものな気がする
「これが最高の教養」と語った時点で教養は消える気がする
朧気だけど何とか言語化すればこれかなと思う
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