禅問答と哲学を混同してないか
その結論は人生の糧になっているだろうか

吉田賢太郎
哲学=愛智

くらら♂
人生にとって大切なものは、結果ではなく道筋にある。だとしたら、問いを立て考え続けることこそが、人生を豊かにするんじゃないかな?
もし投稿者さんの言う通り禅問答だとしても、禅の世界で言葉を用いて回答しているうちはまだまだ未熟な答えだと考えられている。
この惑星は答えを言葉に託そうとする、全くギャグのアプローチだと思うよ。

めなっち
哲学はたぶん言葉を使って矛盾なく考える的なやつかな(よくわかってない)
そうすると、違いは言葉があるかないかになってくる気がする。
言葉がない世界のことはいまいち想像がつかないから、これは哲学でやろうとしてる感じになる
混同してるように感じるのって、禅を言葉のみで語ろうとしている点についてかな…

pophat
最小の量子の存在の様に、在るのに無いと言った禅問答の世界に物理学さえも突入しているので
混同しない方が不自然でもありますね。

くま
哲学は「なぜだろう」と考えて、
言葉や理由を使って答えを探していきます。
禅問答は、普通に考えても答えられない問いを使って、
「考えるだけでは分からないこともある」
と気づくためのものです。
ですから、難しくて答えの出ない質問をすべて「哲学」と考えてしまうと、
禅問答と哲学を混同することになると思います。
ほたて

kaede

サト
これがもし混同を良くないとする意図があるならごめんとしか言えない
謳歌ニート
哲学も禅問答も
自分がなにしてえかの指標だろ?

ゆい
どちらにしろ常に問い続けて真理を追っていく点は変わらないと思うだけどなぁ
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