禅問答と哲学を混同してないか
その結論は人生の糧になっているだろうか

正宗(ろー)
個々の哲学観に影響を受けるものと推定されまふ。
形而上学や◯◯論、哲学書は分かりやすく『哲学カテゴリー』だと思いますが、カテゴリーに直交する軸(≒比喩)にモダリティの概念があります。
また、禅問答も、本来の意味は認識構造そのものを転換させるための訓練としての意味合いがあるでしょうから、“哲学み”を含むとは思います。
AIに意識があるか?という問にも通じますが、これはその時代の意識の定義と個人の価値感に強く影響を受けるでしょうから、問の回答としては『一概にそうとも言えない』となりました。
私は学問としての哲学と営為としての哲学は異なると解していますし、哲学“学”と哲学も弁別したいと考えております。
哲学という語自体も差延的性質を持つでしょうし、禅問答との混同の峻別は難しいかもしれません。

めなっち
哲学はたぶん言葉を使って矛盾なく考える的なやつかな(よくわかってない)
そうすると、違いは言葉があるかないかになってくる気がする。
言葉がない世界のことはいまいち想像がつかないから、これは哲学でやろうとしてる感じになる
混同してるように感じるのって、禅を言葉のみで語ろうとしている点についてかな…

pophat
最小の量子の存在の様に、在るのに無いと言った禅問答の世界に物理学さえも突入しているので
混同しない方が不自然でもありますね。
ほたて

サト
これがもし混同を良くないとする意図があるならごめんとしか言えない

ゆい
どちらにしろ常に問い続けて真理を追っていく点は変わらないと思うだけどなぁ

