存在とは、 「ある」ことですか。 それとも、「意味づけられている」ことですか。 もし意味を剥がしたら、 それでもそれは「ある」と言えますか。
あなたはどう思いますか。

まえば

ノブ

憂い顔の騎士

地球さん

シロ知yaン
主観と客観、或いは関係性によってそれは象られるものだと思います。存在するというのは在ることでもあるし知覚している、認識し、されていること。相互の作用もあります。
鬼籍の場合だとまた話は別でしょうけれどね。

ラズー
存在は重い言葉、意味だと思うからです。
だるま落とし
だけど物質ではないもの、例えば概念だったり、そこに『在る』または『居る』と認識するもの、『意味づけられているから在る』とするもの等は意味が剥がれてしまうと、あるとは言えなくなるものが多い。
主観で言ったけど、客観でも大差無いとは思いたいところかな。

冷泉院ラグドメゼギス
意味の有無に関係なく個人は存続しますよね。
存在意義を失った道具からも、物体であり物質であることは失われません。

タヌキ
存在があると言う状態は人が認知しているかで判断されると仮定する。誰かが認知していると言うことは他の誰かも認知が出来る状況になる。そのため意味が無くなっても、存在としてはあり続ける。
ただ、意味を剥がすと言う行為の意味がわからない

しーま様
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