本音よりも消耗するものがあるかもしれない — 前提が見えない世界で生きるコスト
私は「人の本音」が怖いわけではない。
むしろ、人は矛盾も衝動も持つものだと思っている。
でも正直に言うと本音が見えるかどうかよりも、「前提条件が共有されているかどうか」の方が大事なのかもしれない。
建前や空気読みや「察して」の文化の中で、相手が何を前提に話しているのかを推測し続けること。
本音そのものよりも、前提が共有されない状態の方が、エネルギーを使う。
駆け引きが面倒なのは、相手の気持ちよりも相手の“前提”が見えないことなのかもしれない。
皆さんはどう感じますか。
前提は、言葉にするべきだと思いますか?


しろやぎ
自分を見つめ直せと先達たちは皆言っている

コパ🔍
それって何の話?
コレだけ
俺はいつも言ってるで?
特に会社でな
だって何の話か分からんのやもん🤣
いきなり途中から話出されても困る
とりあえず相手の話を遮れ
主導権を握れ
話はそこからや
削られんな〜
肉盛りしてやれ!🤣

トマト
後は常に余白を残しておくのも大事だと思う。
とはいえこうかもしれないし、違うかもしれないのが人の思考である前提で言葉を受け止めて、ジャッジしない事で、より理解や共通認識に繋がると思う。
そもそも自分とは全く違う考え方や思いや価値観で生きてる人が沢山いるのだと知り、自分で判断するより、相手の考え方で理解をすれば消耗は減るのかなと思う。
物理的な解決方法としてはクレアチンと電解質で思考はクリアにもなる。
ともかく空欄があると脳は埋めたくなるので、隙間を埋めるのではなくて、断片ファイルを圧縮するイメージで事実を正しく認識するとRAS化されて必要な情報だけをストック出来るのかなと思う。

コーユー
これって結構エネルギーを使いますよね。
ただ、前提は「全部言葉にすべき」でもなくて、
必要な分だけ共有できればいいと思っています。
なぜなら、伝える量にも、受け取れる量にも限界があるからです。
そしてもう一つ。
この“消耗”の正体は、実は前提そのものよりも、
「どこまで消耗を許すか」という自分の価値観にもよる気がしています。
だから私は、前提はできる範囲で言葉にしつつ、
無理に読み続けて消耗しすぎないことも大事だと思っています。

K
今回の議論を読んでいて思ったのは、
私たちは「前提を語るべきか」を考えているようで、
実は「不確実性をどこまで許容できるか」を語っているのではないかということです。
前提が見えない状態は、他者が予測不能な状態でもあります。
予測不能は脳にとってコストであり、だからこそ言語化したくなる。
しかし同時に、前提は固定された物体ではなく、対話の中で生成される流動体でもある。
もしかすると消耗の正体は、
「前提が見えないこと」そのものではなく、
見えない状態を制御しようとする試みなのかもしれません。
前提を明示することと、
前提の不確実性に耐えること。
この二つの間で、私たちは揺れているのではないでしょうか。

K
今何を話していて、自分はそれに対してどう思うという話が会話の大半の形だと思います。
前提を共有しないと、その前提をもとに、①相手がなぜそう考えたのか、②相手が前提内容を勘違いしていないか、③自分の出した見解が自分の気づいていない範囲で前提を逸脱していないか。
このあたりがチェックできません。

はる
ただ、この前提を説明するためにパワポ職人になるの何してるんだろうになりますね…
プライベートなら、距離の近さで、変わるかも

サト
相手と前提が合わないことを理解してて合理的に擦り合わせようとしてるのかなと思うんだけど
その合理性自体、前提のズレがあるかもしれないなとは思った
前提が合わないことを前提としてスタートするのがコミュニケーションなのかなと思う
自分が開示した分だけ相手からも引き出す
それでいいと思う

夏休みの最終日
やっちん坊♂
僕的には🎯前提と建前を考えると疲れるとアルが❓ソレが見えないと脳神経の浪費 消費 消耗が
激しくなると言う事なのか❓脳に🧠栄養分が必要だと言う事なのだろうか❓前提が見えない事で疲れると言う事は過去に疲れる様なマイナス面があったと言う事なのだろうか❓人は時に駆け引きとして嘘を吐く🤥事がある❓だから余計に疲れるのだろうか❓
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