あなたが自分の考えだと思っているその声は、いつ、どこからやってきたのだろう。

正宗(ろー)
授乳中に母が長電話していると、母の意識が電話の方に意識が向かい、自分への意識が逸れている(おそらくあやし方が雑になっていた)ことに不快、不快未満の思い通りにいかないことに対する僅かな不満…のようなものを知覚して、乳房を噛んで痛がらせて注意を引きつけるという行為を能動的に行っていたのは僅かに記憶があります。
これくらいの力で噛んだら痛がる、これ以上は良くない(≒怪我をさせるまでは洞察できていなくて、モラルといえるほど発達していなくて、これ以上はまずいのような未分節の感覚)のような閾値も知覚していたと思います。
それ以前にも発現していた可能性はありますが、記憶として残っていないので、ここが思い出せる、現時点で知覚できる原初です。
◯ヶ月頃の胎児には意識があることが分かっているので、ここを起点とし、乳児期までのどこかのタイミングで発現したと予想します。
しかし、発現と知覚、発現と記憶として思い出せるかはそれぞれ別だと思うので、ここから先は考察の範疇になります。
おそらく関わっているのは外部刺激を主体的に知覚し、その外部刺激と知覚に対して因果関係を結べるようになる頃だと思います。
つまり、関わっているのは認知統合力で、認知統合力が一定水準を超えたあたりで、『感じる自分』や『考える自己』が発現するのではないでしょうか。
例えを変えると、種子と萌芽の関係が近いと思います。
心理学的な自我の発現との関係性は不明です。
ヒントになりそうなのは『思い通りにいかない』✕『不満』だとは思いますが、それ以前の可能性もあります。
(ただし記憶が無いためこれ以上を回答できない)

憂い顔の騎士

たんたん
正確かどうか、正解かどうかは別問題
だからワクワクします

パン

sixthsense
迷惑を掛けてきたのは自覚。
迷惑を掛けたくないからこそ、
ポジティブフィードバックで接している。

直兄貴

コーユー
私は、心の声は最初から自分の中に完成していたものではないと思っています。いつからか?と言われると、物心がついた頃くらいからと考えます。
はじまりは、他者の会話です。
言葉を覚え、音と意味が結びつきはじめ、やがて頭の中で音を生み出せるようになる。外に出さなくても、声を“再生”できるようになる。それが心の声です。
最初はただ脳が作り出しているだけの音かもしれません。でも、それを「いま自分が出している」と自覚し、意識して使えるようになったとき、その声は“自分の声”になります。
だからその声は、社会の中からやってきて、脳が生み出し、そして最後に自分が引き受けたものと、私は考えています。
kino

てす人
思い通りに動く自分とそうではない外界があることを認識できる段階。「いつ」については発育的にはここなのかなと。
「どこから」は言語による思考は言語を学んでからでしょうけど、それ以前の意識は生得的に備わっているんでしょうかね。

pophat
自分であって自分じゃないただの反射反応。
なので心との差異に苦しむんですよね[冷や汗]
AIにも出来る頭で考えるのを止めて、心で考えるようにすると本当の自分が見えてくるのかなと[ほっとする]
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