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罪は何に付随するのか

行為に付随するのなら罪を犯さざるを得ない環境にあった人と、そうでない人の罪は同じなのでしょうか。 意識に付随するのなら先天的に問題があり、判断力の低い人とそうでない人の罪は同じでしょうか。 先天的なものを加味しないのなら、環境や教育でも意識が変わらず、罪を犯す人は先天的に問題がある人と同じではないのでしょうか。
伯爵

伯爵

平和の中で1人を殺めれば犯罪者ですが、戦時下で多くを殺めれば英雄です。

この議論には「まず罪とは何か?」を定義する必要があります。
そしてお察しの通り、罪は川を隔ててこちら側と向こう側とで解釈が異なります。

ADHDは障害として広く認知されましたが、アメリカには「障害ではなく強みである」という意見もクローズアップされています。高い能動性や、ハイパーフォーカスがその根拠として挙げられます。
狩猟社会では優秀だった性質が、農耕社会になって障害と看做されるようになった。という学説まで存在します。
「視点の軸をどちら側に置くか?」で、こうも物事の価値観は移ろいます。

であれば、
強いていうなら罪は「価値観」に付随するのかも知れませんね。桶屋が儲かるステップを踏みますが。
哲学哲学
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没壱 ヤモオ

没壱 ヤモオ

罪は 『煩悩』 に付随する。
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モウダ

モウダ

⚫︎罪は何に付随するのか?

罪は基準に付随すると考えています。
法・宗教の教え・個人の倫理観など何かしらの、基準から逸脱した行為があった時に、罪が発生するのではないかと考えています。

⚫︎行為を犯さざる負えない状況であった人の罪と、そうでない人の罪は同じか?
⚫︎先天的に問題があり判断力の低い人と、そうでない人の罪は同じか?

上記の問いが法律という基準を元に問われていると勝手ながら一旦解釈します。

法という基準においては同じになると思います。
ただ、実際に裁判で裁かれる場合は、罪は変わっていくと感じます。
その人の事情を考えた結果、刑の重さが変わるということはよくあると思います。
これは、倫理観という基準があらためて裁判で使われているからだと考えています。
法という基準においては罪になるので変わりませんが、倫理観という基準では、法で成立した罪とは違う罪、もしくは罪がない、法的な罪を軽くしたいという判断になり得ます。
裁判では、法という基準と倫理観という基準が合わさった結果、刑が決まると考えています。

つまり、この場合においては法的な罪は変わらないですが、刑は変わるという解釈です。

⚫︎蛇足
また、基準によっては罪が変わることはあり得ると思います。
先ほどの倫理観という基準は、その倫理観を持つ人の感情やその強度によって変わると思っています。
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なし

なし

行為に付随する。ただ行為は人格から生まれるとみなされることが多いため、人格に罰が与えられることがある
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ソマチッド

ソマチッド

道順は違うが行き着くところは変わらない
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たろう☸️

たろう☸️

色んな事で決まるのかと
犯罪を故意的に行なったか、又は過失か
どんな犯罪を行なったか
責任能力があるか
環境などに情状酌量の余地があるか
これらで裁判官が判断しているんだと思います
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憂い顔の騎士

憂い顔の騎士

同じです。刑法典に記載のある犯罪を犯せば
犯罪は犯罪です。あとは、どのような罰を与えるかの問題で、その際に、情状酌量の余地があるかないか判断します。
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てす人

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#グラちゃんねる で質問したよ!
回答を待っているよ!
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