『幸福の平等』を実現する方法は絶対に無いと断定可能か。

小鳥遊百舌鳥尾
他人の不幸を望む者もいる。
更に平等とは、、、
善人しかいない、余程優れた環境があれば、可能かもしれませんね(*´ω`*)

SSかずのり
例えば、全員が「幸福の閾値」を超えるような幸福資源の分配が実現すれば、「幸福の不平等感」という問題は晴れるかもしれないが、それも現代社会じゃ無理だろう。
断言出来ないというのは、個々人の幸福追求は具体的に想定可能であって、理論上は幸福の平等も成り立つのかもしれないから。
サンデー🍰
それによって「それは絶対ないだろう」とも言えるし「あるだろう」とも言えるだろう。

白鴉🐦⬛
例えば日本では義務教育が幸福の平等に当たるのではないか
何かに挑戦する機会自体が幸福として平等に与えられてると思うのは間違いかな?

🍊🍊🍊

リュウジ

あきよし
思考能力を奪うなどして、幸福の認識を統一化する、
などの、ディストピアな手段でなら平等を実現するのは理屈としては出来そうな気がしますね。
全員をユートピアな手段で均等に幸福にするのは、ちょっと思いつかない、というか、実装条件(認識や意思の完全な同期)が厳しすぎて、それが可能であるなら、それはもうヒトという種族では無い気がしますね。
ガワ
重要なのは「実現」という箇所だ。
絶対的な為政者がスローガンとして掲げて”実現”した場合と、建前ではなく現実に国民の隅々まで幸福の平等を成し得たという”実現”は違う。
実現も重層的で多面的だ。
だが、その差異を正しく指摘出来るのか?と考えれば、それは非常に微妙なところだと思う。
その微妙な分だけ断定は出来ないと答える。

