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主体の存在論的身分

主体が差延の運動において遅延されつつ承認の闘争の中で成立し同時に権力の網の目によって布置されているとするならば主体が自らを主体として語るその瞬間は差延の停止なのか承認の効果なのか権力の内面化なのかあるいはそれらの区別自体が後付けの理論的抽象にすぎず実際にはそれらが区別不能な運動として絡み合っているのだとすれば我々が「主体」と呼んでいるものはどの水準で実在していると言えるのか