どうして人は生きるのか人は、しばしば「生きる意味」を探す。何のために生まれ、何を為すべきか。それを見つけられなければ、不安に沈む。けれど、世界はもっと単純なのではないか。生きるとは、種をつなぐそれだけの営み。意味の有無も、幸福の定義も、この連鎖の上に、あとから貼られた飾りにすぎない。たとえば、ダニという小さな生きものを思う。獲物が来るまで、十八年を待ち続けた個体がいたという。ただ、そこに在り続ける。飢えを抱えたまま、動かず、ひたすら「時」を耐える。思考する人間には到底できない。私たちは“意味”を失うと、すぐに崩れる。しかし、意味などなくても、生はつづく。ダニはそれを、沈黙のうちに証明している。「種をつなぐ」という大きなうねりの一部であると自分を定義し直せば、個人は、広大な生態系の中の「静かな待機」へと変わる。生きるとは、もしかすると「意味を求める力」ではなく、「意味がなくても生きられる強さ」なのかもしれない。──生きるとは、意味を探すことじゃない。すべては、種の存続に帰結する。種をつなぐという、ただそれだけの営み。そう思うと生は驚くほど、静かだ。#生きるとは#終焉まで#福音#再投稿忘備録#ことばりうむの星
自分以外の人をほんの少し幸せにするため自分が作らなくても食べることができる自分が運ばなくても荷物が届く自分が整備しなくても道を歩くことができる等々お金というものに惑わず起きている現象だけ捉えてみてくださいみんながいるから自分の今の生活が成り立っていることに気付きみんなに感謝する自分への感謝を意識するそうしてさらに人を幸せにするささやかな行動をまた一つ増やす
僕の考えですが💦犬や猫は生きるために餌を探して食べます。人も同じだと思います。生きるために食事をします。食事のために生きてるのではないと思います。動物も人も本能で「生きるため」に行動してるのではないでしょうか。