知識人と衒学者の違いは?
SNS見てると知識を振り回し周り、自分がすごいのだと主張している人が多くいるように見えます。人と話すことで自分がなにがわかっているか理解できてないかとか気づけるのに。

憂い顔の騎士
知識人→知識を有効に、他者の為に使う

正宗(ろー)
衒学者の方は、内的にはビート板で、それが対外的には攻撃・衒学・disにあたると思います。
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自尊心の不安定や自我防衛に起因しますが、内的な調律行動は、その反作用として外的作用も必然的に併せ持つと解しています。
Gravityに投稿してある愚痴投稿も、内的な調律行動の一種であり、アレも同様に外的作用を持ちます。
光に粒子性と波動性があるように、内的性質と外的性質はコインの表と裏だと思います。
一方で、内的な調律行動が社会的に許されるというわけでもなく、ソーシャルスキルや社会的情緒スキルという概念の下、社会的に求められるように変換する技能の習得が求められます。
しかし、日本だと、ここは家庭×発達史という個人の環境に依存しやすい技能なので、家庭によっては親から学び取ることが難しく、かといって公教育で実装もされていないので、
『スイミングスクールに通っていなかった人は泳げない』ように、技能未習得の人も一定数存在する構造だと思います。
泳げなくても生活そのものはできてしまいますし、この技能が未習得であったとしても、金や権力があれば自己の権力内においてはそのことを不問にできますし。
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ただ、これらとは別に、観測者側の認知様式の問題もあると思います。
♦︎高度抽象
♦︎暗黙知の未共有可能性
♦︎専門性の高さ
♦︎自我防衛が誘発されやすい内容
を観測者側で弁別するのも困難なので、この場合はその人が普段使用している認知フレームで短絡処理され、衒学性を帯びない事象に対しても、その人の内的には衒学として処理されることになります。

🫠さ丸
だるま落とし
社会的におツムがよろしかろうと破綻してるのはいるし。
『意見を交わしたり対話するのが目的な人』は相手の話を遮らず、かつ『どうしてそう思った』のを知りたがる。小難しい言い回しはご愛嬌だが、少なくとも“敬意”は持ってるだろう。だから「なるほど」という納得の行き場もある。
せっかく得た力を持て余し振り回されてる奴は他人に敬意が無いのが多いし、目立つ。
だから『知識人』として見られていないかどうかは分からないけど。

Shido
ガワ
知識人→意外と役に立たない

冷泉院ラグドメゼギス
知識を示す人が衒学者。
物事に対して「知ってる」、つまり名前を言い当てるだけで対応を終えてしまう"歩く限界"が衒学者であろうと考える。

