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生きる意味の追求と精神的疲弊の関連性

私はもとより生きる意味を追求してきた。 しかし当然「生きる意味とは?」という問いに対する明確な答えは無い。(恐らく) 何故、数多にも自ら好んで出口の無い迷路に迷い込むのか、という疑問を解決する為に私は自分自身と向き合い思考を巡らせた。 その結果、私は生きる意味の追求と精神的疲弊の関連性を見つけた。即ち、生きる意味について思考を巡らせている時、ほぼ確実に私は精神的に参っていたのである(希死念慮に駆られるなどして)。特に意味も無く毎日を生きていられる日常は、その一瞬一瞬が刹那的に過ぎていき、平穏に終わる。しかし、心に闇が立ち込めてきた時は、将来或いは明日にすら希望を見出せず、それ故是が非でもこの人生の意味を追求してしまうのだ。 そこで、皆様は上記の関連性についてどのように考えますか。併せて同様の経験を持つ方などのお話も是非お聞かせください。
なな

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呼吸することと考えることは同じくらい自然だという人がここには多いかもしれない。私もそのうちの一人で、考えない時間は寝る時のみ。常に頭は思考している。それを止めるには、YouTubeを聴きながら読書して、編み物をするくらい、頭を思考以外にフル活用しないといけない。だから、考えることで疲労することは少ないと思うんだ。考えることに慣れているだろうから。また、出口のない問いにも慣れている人が多いだろう。哲学的な問いは答えがないものが多いし。ぐるぐる考えるのが好きな人も多いだろう。疲労の元は、あなたが「悩む」からではないだろうか。第三者目線で考えると面白いが、自分を中心に置いて感情を乗せると、重くなる問いというものがある。「生きる意味」もその類ではないだろうか。客観的に見つめると疲労は少なくなるかもね。ちなみに私は生きるために生きていると思っている。
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norimi🌌

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生きる意味が分からなくて苦しくなるのは、
意味がないからじゃない

左脳を使いすぎているから

生きる意味って 定義したり 説明したり
言語で整理して分かるものじゃない

それは考えるものじゃなく、感じるもの

左脳で「なぜ?」「理由は?」「構造は?」
って回し続けたら、そりゃ疲れる

今の社会は何でも言語化して
説明して納得して解決しようとしすぎてる
それ自体が人を消耗させてる

生きる意味は右脳じゃなきゃ分からない

・なんとなく心地いい
・なんか違う
・こっちは嫌

この感覚のほうが、ずっと本物

左脳を一回休ませて、右脳を開いたときに
「ああ、これかもな」ってなんとなく分かる

それで十分

「殺人したくありませんか?」と聞かれて
「したくない」それで終わりでいいのと同じ

理由も分析も「だけど」もいらない

生きる意味も同じ
言語で完成させようとするから苦しい
感じて、選んで、あとから言葉がついてくる

生きる意味は考えて見つけるものじゃない

右脳で感じて、生きてるうちに
なんとなく分かってくるもの

ハグをしようハグを^_^
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さ丸😇

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正直に言うと、
生きる意味を考えて疲れる原因は
「意味が見つからないから」じゃなくて
すべてを言語化しようとする姿勢そのものだと思います。

人間には
言葉になる前の感覚や意識があって、
そこが一番大事なのに、
現代は「言語化できない=未完成」「説明できない=浅い」
みたいな空気が強すぎる。

だから
「生きる意味とは何か?」
を言葉で完成させようとした瞬間に、
思考が迷路になって、精神が消耗する。

本来は逆で、

・なんとなく好き、嫌い
・なんとなく楽しい、つまんない
・なんとなくやりたい、やりたくない

この意識や感覚だけで十分なんだと思う。

「戦争したくありませんか?」と聞かれて
「したくない」
それで終わりでいいのと同じ。

そこに
「だけど現実は」「だけど人間は」
と理由を足し始めるから、
話が壊れて、疲れる。

意味も同じで、
決めればいいだけなのに、
説明しようとするから苦しくなる。

言葉で解決しようとしない。
言葉にできない部分が残ってていい。

生きる意味は
考えて“見つける”ものじゃなくて、
選んで“そうしている”状態なんだと思います。

言語化しなきゃいけないと思うから疲れる。
意識だけで決めていいことも、世の中には多い。



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