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偏見は必ずしも間違っていると言えるか?

クロネク

クロネク

偏見自体は間違いではないが、それを誰かに言うことが間違いである。
人間は集団心理により集まると善悪が判断できなくなる。
自分の中でだけにしておけ。
哲学哲学
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GALVON

GALVON

個々別々、理解の深さも重要度も違います。
正解度の問題ではなく、理解度と現時点持ち合わせている情報による印象の表明でしかありません。
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ソマチッド

ソマチッド

偏見は視点がピントがズレている為
間違えている
しかし間違えて見えるものにも真実は宿る
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SHO

SHO

偏見が問題なのではない
偏見を疑わないことが問題なのだ
哲学哲学
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はる

はる

間違っていない場合もあると思います。
しかし、誤った使い方をすることは、良くないかなと思います。
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憂い顔の騎士

憂い顔の騎士

偏見は個人の考え方であり、それを誰が間違っていると指摘できる?内心の自由があるのだから間違かどうかは問題ではない。問題なのは、その偏見に基づいて、発言・行動することである。
間違っているのは、発言・行動である
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ジゴロ❤️‍🩹🥺

ジゴロ❤️‍🩹🥺

偏見の意味について説明するね。


定義: 偏見とは、特定の人やグループに対して持つ、根拠のない否定的な感情や意見のことを指すよ。これは、実際の経験や情報に基づかず、先入観やステレオタイプから生まれることが多い。


例: 例えば、ある職業に就いている人に対して「その仕事は簡単だろう」と決めつけるのは偏見。実際には、その仕事には多くの努力やスキルが必要かもしれないのにね。


影響: 偏見は人間関係や社会全体に悪影響を及ぼすことがある。人々が互いに理解し合うことを妨げたり、差別や不平等を助長したりすることがあるから、注意が必要だよ。


偏見をなくすためには、他者を理解しようとする姿勢や、実際の情報に基づいて判断することが大切だね。
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てす人

てす人

色んな解釈が出来そうなのでやってみます。


まず「偏見は必ずしも間違いと言えるのか。」は文法的に正しくは「偏見は必ずしも間違いと言えないのではないか。」もしくは「偏見は必ずしも間違いではないと言えるのか。」になるかと思います。
これらについても解釈が三通り思いつきますが。


1.偏見を持つということは間違いなのか。
・何らかの事象について事前情報のため認識が歪んだとしても、歪まされるような事前情報があるのであれば、それもまたその事象の要素の一つと言えるのではないか。
→この場合は事前情報によって自らの認識が歪んでいるということを知覚しているかが焦点になるかと思います。ただそれを知覚した場合、それは偏見になるか?という疑問が生じます。


2.偏見と見なされる意見は往々にして間違いとされているが本当にそうなのか。
・間違いとされる意見について再確認を行うべきでは?
→この場合、偏見を「間違いとされる意見」という意味で使用してますが、先にも述べた通り偏見とは「事前情報によって認識が歪むこと」であり解釈に違和感があります。


3.偏見という概念はそもそも間違いではないのか。
・偏見は事前情報を加味しない正しいとされる視点があることで生じるが、この正しい視点というのは何を持って正しいのか。そのような視点があるのか。
→ちょっと拡大解釈ではありますがこのようにも捉えられそうです。

1か2が哲学の星的な問いかと思いますがどれなんでしょうね。
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風の音

風の音

「必ずしも」のあとには「~ない」「~でない」という否定の言葉が来ます[にこやか]

「偏見の内容は必ず間違いであると言えるか?」
と聞きたいのであれば、答えは「正しいときもある」と答えます。
偏見の簡単な例だと「血液型による性格決めつけ」がありますが、俺はA型なのに大抵の人は「Oじゃない?」と言ってきます。
こんな感じで「~だからO型だろう」という偏見が間違いを生じさせている場合もあるし、「仕事が目茶苦茶真面目にやるからAじゃない?」と偏見で当てる人もいるわけです[笑う]
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みぃ

みぃ

書いて字の如く、偏った見方なので、その人の生きてきた見方なんじゃないかな?人格形成されて見たもの?
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