日本人の「責任」に対する感じ方や考え方をどう思う?
「連帯責任」として、ある集団に対して責任を負わせる考え方。
「個人責任」として、たる人に対してのみ責任を負わせる考え方。
...などなど、「負わされる」というマイナスな捉え方が多い傾向がある気がする。

ちゃんゆな
もう少気楽に生きれる世の中になればなぁって思ってる

bk
個人的な考えを言えば《責任は負うものであり負わされるものではない》

のぼ
責任は本来『望む方がとる』んです。
今は皆んな嫌々やってるから責任のなすりつけが起きてますね。
家庭なら塾を子供が行きたかったら子供がとる、親が塾に行かせたかったら親が責任をとる。
会社でも部下が企画を通したかったら部下が、上司が通したかったら上司が。
「一緒にやろ?」って明るく声かけてくれる人と仲良くなるといいんじゃないかな。

憂い顔の騎士

山田
としゆき
何もしていない他人がわたしの苦労で楽をするのは不平等ではないか、
あなただけが楽をするのは許さない、
などといった、他者の抜け駆けを許さない、許したくない強い羨望意識、つまり嫉妬に似た心理構造が原因ではないかと感じます。
例えば、血税という言葉の意味の「我々が汗水流して必死に働いた金の出所と使い方」という感情的な側面を見てみると、そこには日本人の特徴的な性質の一つである勤労性という美徳(と捉えられている)概念に不満や嫉妬といった上述の羨望意識に似た類いのものが潜んでいるのが確かにあって、この構造が出来上がった原因として考えられるのは、日本のペーパーテストの基本として必要とされ要求される「努力」を過剰に評価し推進する教育方針のあり方が強く影響したのではと考えています。
何かの行動を起こせば必ずそれに見合う対価が必ず支払われる、
頑張れば頑張っただけそれに見合う報酬が必ず支払われる、
必死に頑張って何かを続けていれば世間が認めてもらえる、
信じていれば必ず報われる、
といった非論理的で非現実的な願望を実際の社会にシステムとして実装し適用してしまった結果が我々日本人の認知の仕方を歪め、合理的判断をするための連帯責任という「方策」を社会的真理として捉え倫理的真理として刷り込まれてしまった、これが根本的な原因になっているのでは、考えられます。

ナトル
農耕民族というのもあるのかもしれませんが無責任な人が責任者をやると農作物がダメになり多くの人手は村まるごとが犠牲になることもあったくらいですから「自分のミスで多くの人に迷惑かける」どういう不安要素があるのだと思います
また日本の場合【明治以前の公務員(武家や公家や農民 &商人の最高責任者)】大きなミスをすると連座の刑みたいに 一族の郎党が一人のミスで処罰を受けるということもあったからだと思います
いわゆる【1人はみんなのためにみんなは1人のために】の考え方が根本にあるのだとだと思います
ノクスト

くりまんじゅうG

ゲッチュー
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