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日本人の「責任」に対する感じ方や考え方をどう思う?

「連帯責任」として、ある集団に対して責任を負わせる考え方。 「個人責任」として、たる人に対してのみ責任を負わせる考え方。 ...などなど、「負わされる」というマイナスな捉え方が多い傾向がある気がする。
ナトル

ナトル

世界に比べたらば 責任を深刻に捉えやすい民族だと思います
農耕民族というのもあるのかもしれませんが無責任な人が責任者をやると農作物がダメになり多くの人手は村まるごとが犠牲になることもあったくらいですから「自分のミスで多くの人に迷惑かける」どういう不安要素があるのだと思います

また日本の場合【明治以前の公務員(武家や公家や農民 &商人の最高責任者)】大きなミスをすると連座の刑みたいに 一族の郎党が一人のミスで処罰を受けるということもあったからだと思います

いわゆる【1人はみんなのためにみんなは1人のために】の考え方が根本にあるのだとだと思います
哲学哲学
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憂い顔の騎士

憂い顔の騎士

他者の目を気にしすぎている
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山田

山田

切腹文化が生まれた狂気の国ゆえ。
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としゆき

としゆき

わたしは責任を持っているのだからあなたも責任を負って当然だ、
何もしていない他人がわたしの苦労で楽をするのは不平等ではないか、
あなただけが楽をするのは許さない、
などといった、他者の抜け駆けを許さない、許したくない強い羨望意識、つまり嫉妬に似た心理構造が原因ではないかと感じます。

例えば、血税という言葉の意味の「我々が汗水流して必死に働いた金の出所と使い方」という感情的な側面を見てみると、そこには日本人の特徴的な性質の一つである勤労性という美徳(と捉えられている)概念に不満や嫉妬といった上述の羨望意識に似た類いのものが潜んでいるのが確かにあって、この構造が出来上がった原因として考えられるのは、日本のペーパーテストの基本として必要とされ要求される「努力」を過剰に評価し推進する教育方針のあり方が強く影響したのではと考えています。

何かの行動を起こせば必ずそれに見合う対価が必ず支払われる、
頑張れば頑張っただけそれに見合う報酬が必ず支払われる、
必死に頑張って何かを続けていれば世間が認めてもらえる、
信じていれば必ず報われる、
といった非論理的で非現実的な願望を実際の社会にシステムとして実装し適用してしまった結果が我々日本人の認知の仕方を歪め、合理的判断をするための連帯責任という「方策」を社会的真理として捉え倫理的真理として刷り込まれてしまった、これが根本的な原因になっているのでは、考えられます。
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ねじまき

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武士道
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じゃんく

じゃんく

日本では責任というものを
''押し付けるもの''とする傾向が強いように感じます
これは日本語の構造的問題だと思うんです。
これはこうだ、と断定する能力や現象に意味を持たせる能力が高いがゆえに起こる問題だと考えています。

だから、
・私はこうしていた
・相手はこうしていた
・しかしこれはこんな環境でやっていたことだった
・この環境をつくったのは○○だ
・しかしこの環境が必要になったのは○○にある

これらの情報を同時に保持するということが言語の特性上難しく
「つまり、誰が悪いの?」
という問いを生んでしまっているように感じます。



しかし、私としては責任というのは「直接的、間接的に触れたもの全てに発生するもの」だと考えています。
そして一番大きな責任、問題を抱えているのは、
問題を、間接的につくっているものを間接的につくっているものをさらに間接的につくっているものにあるかもしれません。
だからこそ
責任が誰にあるかを決めることよりも先に
どんな原因によって起きていることなのかを考えることが問題の根本的解決に繋がるのだと思います。

誰が責任かを第一優先で決めることは本質から目を背けて、簡単な結論に逃げているだけのように感じます。
つまり、問題の表面的解決、いわゆる「やってる感」しか生んでいないと思うんです。


これが私の責任に対する考え方です。
まあ、そう考えることが日本で需要があるかどうかは別としますが…🙄
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