心や魂の存在を求める必要はあるのか
認識できる意識が全てで良いのでは?

ゆうき
「肉体」は「魂」の器であり、「魂」はその人の最も根源的な人格にあたる。「意識」はそれらを観測するための認知機能。そして「心」はその内面の総称かな、と。
実際、目に見えるものが全てではあるけど、その「目に見えるもの」を形成してきた歴史や経緯を理解したり、説明したりする上で心や魂の存在を求める必要があると思っています。
観測可能な意識を「心」、無意識や観測不可能な意識を「魂」と定義してみるのも面白いかもしれませんね。

pophat
何かしらの成果や目的をもって使う器官でしかない。
人間は別に脳に支配されて生きている訳じゃなくて、脳を使う側の自分もちゃんと存在していて、その変化しようもない自分(コントローラーを握ってこの世界を感じている側の自分)を魂とか心とか呼んでいるものだと思っています。
ようは、自分の行動の決定を脳(AI)に任せるんじゃなくて、脳(AI)はこう言っているけどどうするの?を判断できる心や魂と呼べる自分の存在がいないと視聴者でしかなくてプレイヤーとは呼べないんじゃないかとは思います。

くりまんじゅうG

くりまんじゅうG

款冬
この壺型キーホルダーも徳が積めますのでご贔屓に願います

〆さば
私は物語の熱い展開に熱さで泣く人間なので、どうしても心や魂という言い方が必要です。
認識では説明し切れない感(あくまで感です)がある。
最近泣いたのは久しぶりに読み返したテラフォーマーズの2話か3話で艦長の個性がバレットアントだ!という説明文の煽りを読んだ時です。昆虫好きとしては激アツですよ。うおぉぉ!となりました。

仁

はかり
無いと信じているとしても
それが有ろうが無かろうが、
象徴としてあるって事が便利であり、価値を見出すことが可能なのだと思います。

ななな

たむい
見えている存在が成り立つための仕組みを理解することで、より美しさを探求できる
と私は盲信しています
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