【行為者-観察者バイアス】を前提とした場合、相手や相手の発言を批判するとき、自己の内的要因には注意意識を向けるべきか?また、このバイアスは知覚可能か?
note: 行為者-観察者バイアス
自分の行動は「状況」のせいにする(外的要因)が、他人の行動は「性格・人格」のせいにする(内的要因)という、心理的な偏りのことです。
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具体例:
🔸自分が遅刻した時: 「電車が遅延したから(状況)」と考える。
🔹他人が遅刻した時: 「時間にルーズな人だから(性格)」と考える。
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🔸自分が仕事でミスした時: 「指示が不明確だったから(状況)」と考える。
🔹同僚がミスした時: 「注意力が足りないから(性格)」と考える。

よん
怒りや違和感が出た時は「自分の内側の何に反応しているんだろう」と考えます。
例えば私は「損得勘定で動く人」が苦手でしたが、自分が損得勘定で動くことができないため、ある種の嫉妬を感じていました。
「それが許されていることに対する嫉妬」です。
「遅刻できた」「ミスできた」「損得勘定で動ける」
なので不倫を叩く人は、実は心のどこかではそのように自由に振る舞っていることに嫉妬しているのかも知れません。自らには固く禁じているというか。
しようとも思わない、その発想が無い人はそこまで感情的にならないと思います。
この考え方については、由佐美加子さんのメンタルモデルが非常に参考になりました。
論点合ってますでしょうか[泣き笑い]

憂い顔の騎士
人は自己には寛容であり、他者には厳格であるからです。そして、この厳格さは、無意識のうちになされているからである。

怪我の功名
相手と会話をすれば大体は知覚できる。
他人が遅刻してきたら、「昨夜はちゃんと寝れた?」だとか「忘れ物とか大丈夫?」とさりげなく遅刻するまでの背景を聞くかな。
ソマチッド
知りたいことが💡

