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見ている色について

自分が見ている色は他の人から見たら自分が思っている別の色だったりするのかな? こんなイメージ A「この色は赤色だね」 B「そうだね」 AがBの視覚情報をそのまま見れたとする A「この色って青色だな」 伝わりにくかったらごめんなさい。
山田

山田

四色型色覚を持つ方の絵です。
三色型色覚の我々は、四色型にとっては色盲です。
この絵はどのように見えるでしょうか。
見えない色があることを認識出来るでしょうか。

四色型色覚の方は、無自覚であることが少なくありません。日常生活で気付くことは稀です。
もしかしたら、私たちの身近にもいるかもしれませんね。
哲学哲学
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風の音

風の音

色覚異常の方や色の階調認識に富んだ人が世の中にはいるように、各々が見ている色や形、音なども(自分の声を録音再生すると違和感ありますよね?)もそれぞれ違います。
それゆえ「人それぞれ世界がある」んですね[笑う]
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狼

クオリア、逆転クオリア、哲学的ゾンビあたりで調べるとPhilosophia的にほくほく出来ますよ[照れる]
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りり

りり

すごくわかる私もそれ小学生の時からずーっと気になっています私も知りたいです

私が見ている赤は果たして本当に赤なのか
肌色は私が見ている肌色と同じなのかそれとも私にとっての緑や青がほかの人にとっては肌色なのかもしれない…

違うと言われたら何を根拠に違うと言えるのか…他人の身体に魂だけで乗り移らない限りはけして正解かどうかはわからないのではないか?

とか色々考えちゃいます[照れる]


#質問をしたら誰かが答えてくれるタグ
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ワテクシ

ワテクシ

哲学、心理学、脳科学の分野で非常に有名で、古くから議論されているテーマですねー
現代の科学では証明できないって。
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ソマチッド

ソマチッド

見ている物の色が同じなのか違うのかは誰にも分からない
目を閉じて本当の色を誰が示せるのか?
どうやっても伝えることは出来ない

もどかしいな〜
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comesunday

comesunday

これは多分、確認する方法が存在しないでしょう。

中学生の頃、マニアックな雑談が好きな英語講師のオッサンがいて、何のきっかけでか忘れましたが、突然クラスの生徒に向かって「色ってなんだ?雪は白いっていうのは正しいか?」と訊いてきました。

咄嗟に、「よく見れば透明」と答えると、「何だそれは。どういうことだ?」とか言ってきました。

その話の詳細は覚えてませんが、結論は、モノの色は、「人が見てそのように(赤く、白く、青く、など)見える」ということでしか定義できないという話でした。

当時、私は、光の色は波長に対応付けられると思っていたのですが、そう言えるのは短波長単位相のレーザーのような光だけで、人が普段見る自然界の光はそうではく、異なる波長、位相、向きの光が多様に混合された状態を知覚しているので「全ての/殆どの人の目に赤く見える光」であることの必要十分条件となる「物理学的に〇〇の特性を持つ」条件を見つけるの非常に複雑で困難な問題だと気付きました。

そこからさらに、この問いの問題に近づけるために「反射光がXXXの条件下で人の目に赤く見える物体の物性」を必要十分な物理学的条件を考えると、これはさらに難しい問題です。

つまり、色とは、例えば誰かが「赤く見える」「青く見える」、、、といった対象をそれぞれぞれ集めて、対象どうしの共通特性値として「赤」「青」、、、と、ラベルをつけ、対象同士のラベル共通性について観測者の合意が得られたものを色の名前として認識しているのであって、実は、「赤」とラベルづけている対象の色が異なる観測者間で「同じ色」かどうかは確認されたことがないわけです。

なので、今のところ、この問いの答えになる「色」の同一性を定義する方法は、物理学的にも認知科学的にも、広く認められた一般的なものが存在しないと思います。

ニューロマーケティングなどの脳科学と塗料の開発などで応用されるような光学物性の研究が進んで、いつか誰かが方法を見つけるかもしれません。

とはいえ、なにせ数十年前に、どっかの大学の哲学科講師のオッサンが、副業の塾講師バイト中に、中学生相手のつまんないジョークのネタにしてたわけですから、昔からそれなりに知られた問題なのでしょう。

今さら、明確な経済的動機がなければ、わざわざこの研究のために人手や資金や時間を使う人はいなさそうだと思います。
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としゆき

としゆき

先天的な色盲といった自身の色の知覚の仕方と他者の色の知覚の仕方に何らかの相違の条件が成立していれば、各個人が知覚する状況的事態の相違としての可能性は十分あり得ると考える。

色を知覚する際、見る人の眼球の保有する自身の網膜の水分の度合いによっても知覚する色の濃さ薄さが光の反射によって若干異なっており、それによって各々の知覚する色の種類には微妙な差が確実に存在する。この実例は直ちに我々の色の知覚の仕方が人によって異なる、つまり見ている色は人により異なるという質問の文を表現している事例となる。
従って、我々が見ている色には、同一の人間が存在しておらず、人工の眼球や視覚への何かしらの人為的調整を行わない自然の知覚の状況が想定される限りにおいては、自身の眼球のオリジナル性も作用する以上、既に見えかたは微量ではあるが万人によって異なっていることになる。

しかし、これらは我々という世界に後から発生さた生命存在の我々の眼球の性質が及ぼす我々に対する我々人間側の知覚事情でしかない以上、世界側に端を発する世界の存在の不確実性には直結するということはないと主張する。
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ナトル

ナトル

多分それはあると思います 見ている色は同じでも呼び方が違うという パターンもあるだろうし

美術など専門家が見たらば 番号で 全然違う色であってもそういうのに詳しくない人にとっては レモン色 も黄色も矢吹色も下手すれば 柿色ですら 同じ 黄色と一括することもあるし

その時代によって呼び方が違いが出ていたりもする
青信号=みどり信号
緑色の竹=青竹
など々
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Jaco_ten

Jaco_ten

見ている形すら実物か怪しい
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