人類は共存しながら良い社会を作ることができる存在か。人類は争うことを辞められない存在か。
【問】性善説か性悪説はさておき、『善なる未来』を作ることはできる存在なのか
(本問は問の形式は二項対立ですが、二項対立的問ではありません)

ジュデッカ
なので、客観的には無条件で誠意のある人というのは存在できません。
利害関係の産物としてそれらがあることを考えると、共存するなかでの利害調整がつかなければ争いは避けられませんし、その「利害がついた状態」とは、多くの場合「当事者の利害が対立しない要素を犠牲にしてもよいという共通理解」に基づいた妥協が行われます。
すると、それに巻き込まれる人たちは当然新たな利害関係のフレームワークとして関連性が始まっていくわけで、それを繰り返してここまで来たに過ぎません。
要するに「争うことは辞められない」し、「そもそも人間が人間を統治することは根本的にはできない」です。 統治できてるように見えるだけで、その過程で誰かを、何かを、人ではない存在を犠牲にして生きているだけです。

りょうたろう
質問の注釈にあるように、本問は二項対立ではない。個々のコミュニティを見ればよい社会を築いているが、それらが対立しあい、コミュニティはしばしば特定の条件を満たす人間を排除する。
ただし、人々はこれまでの歴史の中で、平和裏に複数コミュニティを統合し、福祉的な手段に訴えコミュニティの幅を広げてきた。
そしてこれからも、そうし続けるだろう。
しかし、二つの命題が並立するこの世の中のあり方は依然変わらないといる。
とくさん
競うのも
出てくるね
社会を良くしようとする働きかな
さんかく
不要な物は廃れていく
被れば争って強ければ残る
同じ人を好きになりどちらも諦めなければ
それは仲良く一人を愛せるか

憂い顔の騎士

